日本をしばらく離れているときになにが辛いかって単純に日本の味を思い出すことが辛い。現地の料理に不満なわけではない。むしろどの国の食事でも美味しいと思っている。散々不味い料理として取り上げられているフィッシュ&チップスでさえミジンコは普通に満足している。訓練中に食べる携行食でも美味しい美味しいと言って食べている。ジャングルにいるときには木の皮でもおい・・・・、い、いや、なんでもない。
海外の料理が辛いのではなくて日本食特有のダシの効いた味や味噌や醤油の味が恋しくなるのだ。とは言っても最長で2年ほど一切和食を食べなかった時期もあるので和食がないと耐えられないというほどではないけれど。ガマンできるとはいえ、和食のことをふと思い出すときがある。日本人経営の日本人料理人による和食レストランにでも行かない限りは日本で当たり前に食べている和食とはなかなか出会えない。手に入れることが難しいと分かっているからこそ尚更もどかしくなる。
たまに和食の画像をブログに貼っておいて後から見て励みにしている。大体は森の中などにいるときだ。生きて帰国して和食を食べるんだと励みにしている。
ただし和食の画像を見るとむしょうに腹が減る。「ヨダレが出る」というのは訓練中の飢餓状態では本当のことだと分かる。動物は飢えているときに獲物を見るとヨダレが止まらなくなるのだ。
そうはいっても手に入らないものは手に入らない。海外、ましてや僻地では和食は存在しない。その和食がないことへのガッカリ感を解消する方法を思いついた。
料理研究家・園山真希絵作 「焼いた鯖と南瓜」
半死半生状態のボロボロのカボチャの切り身が3つ。その上に生焼けにも見えるサバ一切れ。とりあえず撒いておけ的な鰹節。サバにカツオをかけてどちらの味を強調したいというのか?
ミジンコもたまに自分で作った料理を撮影してブログでUPしているが寝ぼけていても最低限の美しい色合いや食欲をそそるための配色などを考えて食材を選んで調理し撮影している。さすがにこの料理研究家のような数々のトンデモ料理にはならない。デザイン性というか食に関する感性の相違とでもいうのだろうか、彼女の料理を見ると和食のなんたるかの異次元を見ている気がする。彼女の料理写真を見るとなんだか和食への恋しさが解消できてしまうのだ。これは使える!
ご参考: 園山真希絵先生(笑)の作品の数々
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