聴衆が政治家の声を聴きたがっている街頭演説を初めて見た。以下に埋め込んだ自民党・総裁選の安倍候補への麻生元総理からの応援演説と本人の演説のことだ。若干長い動画であるが本当に聴く価値のある演説だった。今回の安倍演説は「総理大臣は日本人を守るために働く」ということを国民一致の理解とするためにも教科書に載せるべき内容だ。なんのために政府があるのか?国民を守るためだ。その当たり前のことを野党議員が演説で訴えなければならないほど今の国民の敵となっている政権与党が狂っているということだ。
かつての麻生元総理の街頭演説も聴衆からの人気は高かったが若干聴衆に媚びた感じのスピーチも多くて余り好きではなかった。麻生元総理にはもっとドーンとしておいて欲しかったからだ。政治家が聴衆にお願いする演説は嫌いだ。聴衆、すなわち有権者こそが「あなたに政治家をお願いしたい!」と候補者にお願いする方が筋だと考えるからだ。有能な上に不正に手を染めない、そして日本人のことを思う政治家たちを国会に送り出せば良いわけなのだが、日本ではマスコミがことごとく事実を歪曲、そして隠蔽するものだからとんでもなく日本に不利益なモンスター議員たちがウヨウヨいる現状だ。それは国民にも非がある。ペコペコ頭を上げては「お願いします!」という候補者を選ぶからだ。そんなことをしてはならない!有権者に1回も頭を下げずとも「やることはやります!」と約束し、その約束をちゃんと果たす議員に票を投じればいいのだ。アタマペコペコも握手も一切いらない!欲しいのは政治家としての優れた資質だ。
さて、その優れた資質についてだが、安倍元総理も麻生元総理も「元」がつくように短期の総理経験者。引きづり下ろされた麻生元総理には同情の余地があるが安倍元総理は自ら職を辞した。体調云々は言い訳にならない。そんな「元総理」である両議員は政治家としての資質を更に上げた感がある。失敗と屈辱から人は多くを学ぶということだろう。過去の民主党の歴代総理の顔ぶれを見てもそれは明らかだ。鳩山、菅、野田と致命的な失敗を繰り返し、延々と恥を晒しながらも、それを失敗だと本人たちが認めていないものだからなにも成長していない。人は見かけによるのだ。民主党総理経験者3名の顔つきを見ればそれは明らか。総理経験者なのに今もって腑抜けたボヤ~ッとした顔つきのままだ。
対して安倍・麻生両氏の顔つきには覚悟が感じられる。主観で言っていると思っている方々がそう思うのは勝手だが人の顔つきで判断することはミジンコにはいわば仕事のようなものだ。どんな事業でも投資でもそのプロジェクトを担う人材で決まる。その見極めに関してはミジンコの実績は世界でも屈指と自負している。民主党の3馬鹿歴代総理と安倍・麻生・将来の国政を担う政治家たちとでは力量の差に言葉どおりに雲泥の差を感じる。
街頭演説でハッピーバースデーの大合唱が起きるのは日本でも安倍・麻生両議員のときだけだろう。民主党議員たちが同じことを聴衆に求めてもいつものように「帰れコール」が起きるだけだ。
この街頭演説を取材していたマスコミに対してかなりの罵声が浴びせられていた。動画で確認したが一人や二人からの罵声ではなかった。口汚く罵ったところでむしろマスコミのエサになりやしないかと心配になるほど多くの罵声が浴びせられていた。ところがマスコミはそういうところはまったくニュースにしない。ニュースにしてしまうと「なんで罵声が?」となり、民主党が政権を奪い取った核心にまで話が進んでしまうことを恐れたのだろうか?
マスコミはどうせ反省しないのだろうが、自分たちも日本の一部なのだということを自覚するべきだ。例え寄生虫といえども宿主が死んでしまえば生きてはいけない。安倍元総理をコキおろし、今もって強引な非難をしているマスコミ。麻生元総理の揚げ足ばかりを取り民主党政権の誕生に大きく寄与したマスコミ。結果として民主党政権後の日本はズタボロだ。テレビも新聞も週刊誌も広告が主な収入源だというのに、その広告減少、すなわち景気後退を促すような政権にマスコミは手を貸した。マスコミは反省をしないのならば、せめて現実を見る目を養うために、この安倍・麻生両議員の国民からの人気からは目をそむけないで欲しい。
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