アメリカ人も韓国のあれやこれやにウンザリしている日本人の長年に渡るストレスを理解し始めた。アメリカのクラブではこんな表示が登場した→【(韓国のPSYの)カンナム・スタイルは止めてくれ】
そりゃまともな神経をしていればお世辞にも見た目が良いとは言えないデブでブサイクなおっさんの珍妙なダンスに拒絶感が出るというもの。米国ではマドンナがステージにPSYを呼んだり、日本と同様にして「YouTubeで7億回再生」という部分だけをクローズアップする報道などもあり、良くも悪くもPSYが多少は話題にはなってはいるが、気になるのはそういうコーディネートをしている背後のゴリ押し集団の存在。韓国政府は自国の破綻しかかっている経済状況もなんのその、なんとか韓国人の歌手やグループを世界で売りたいらしい。PSYをまともに扱う米国のアーティストたちに苦笑。そういう人たちの全てが落ち目と言われて久しい人物たち。どんな話題にでも乗っかろうとするその必死さが痛々しい。日本でも芸がない芸人やタレントたちがやたらとK-POPを推していた時期があったが米国でもまんま同じような現象が起きている。そういえば最近は「少女時代がナントカカントカ」とそれまでのトークをぶった切っても話しをし出す芸人たちはいるんだろうか?最近はテレビを余り見ないのでそこらへんは詳しくは無いが去年あたりのバラエティー番組では強引にK-POPの話に持って行くひな壇芸人たちが多かった印象が強い。彼等はまだひな壇にいるだろうか?だからひな壇芸人なのだといつ気がつくのだろうか?
アメリカも日本が韓流とやらに散々やられたことの不愉快さを現在進行形で体験中。日本では韓流は結局どうなったかといえば、元々は興味が無かった人たちまであまりのゴリ押しにウンザリして嫌いになったというケースが多い。ミジンコもペ・ヨンジュンやBoAのことは嫌いでもなく言うなれば「興味がない」という感想だった。ところが今やどんな韓流だろうと嫌悪感が先にくる。ましてやビジュアル的にも音楽的にも見るに堪えないPSYクラスの韓国人タレントともなると「うっかりテレビをつけるとPSYが出てくるんじゃないか」という恐怖感すらつきまといテレビをつけないことがリスク回避の手段となっている始末。
人が人を好きになるという感情をメカニズムとして考えることはどうかと思うが断定できることはあると思う。「私のことを好きになって!」と強引に迫ったところで相手が好きになってくれるはずもないのだ。自然と好きになる。これしか「好き」へのプロセスは無い。韓国政府も韓流ゴリ押しチームもそれがまったく分かっちゃいない。無理矢理に人の前に立ちはだかって「ねぇ好きでしょ?好きなんでしょ?好きになってよ!」と粘着したところでむしろ嫌われる。それはストーカーというものだ。
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