運転免許のあり方について常々考えさせられている。なぜか?外出中は圧倒的な時間で歩行者でいることが多くなって「轢かれる側」になってみたら(ミジンコの場合は都内のことしか分からないけれど)とんでもない運転をしているクルマをやたらと見かけるから。危険運転を見ることはほぼ毎日といっても過言ではない。なんでそこまで運転がヘタクソ、正確にはドライビングテクニックという意味ではなくて、視野と判断力の問題があるというのになぜ1トンの金属を40kmも出して走らせようというのか!?
以前にも
危険運転については記事で触れた。歩行者が歩道を歩いていてもクルマが突っ込んでくるのだ。そんな危険なドライバーが事故を起こすのは遅かれ早かれでしかない。
昨日、有名な元女子アナウンサーが駐車場で人身事故を起こした。被害者の男性はまだ38歳。本当にお気の毒という言葉では言い尽くせない悲劇だ。被害者の男性はホテルの駐車場の車止めの外側を歩いていたとのこと。そこへブレーキとアクセルを間違えたクルマ(フォルクスワーゲンという話なのでそんなに大型車ではない)バックで激突。「胸と強く打って」という報道からして被害者の男性はクルマと壁に挟まれた状況だったと推察される。本来はクルマが来ないはずの場所を被害者の男性は歩いていたということだ。それでもクルマは来た。(※ 後の報道で右折で男性にぶつかってから乗りあげたとありました。駐車場でぶつかった人に乗りあげるとは2重に酷い運転です。いったいどんな速度で運転していたんだと。咄嗟にブレーキが踏めないドライバーが駐車場でそんな速度で走っているなんて、事故は「遅かれ早かれ」だったのでしょう。)
皆さんは経験がないだろうか?こういったホテルやショッピングモールなどの大型駐車場に駐車するとき、先ずは駐車スペースを視認して、そこから今度はサイドミラーとルームミラーで確認しつつもなにかイヤな予感がしていったんクルマを止めたことは?実際にはなにも起きていないのだが子供やネコが駐車スペースの視覚に一瞬で入り込んだ気がしなくもないときがないだろうか?いちいちクルマを降りて確認とは初心者ドライバーみたいで恥ずかしい気もするがそれでも確認せずにはいられないときがある。ミジンコの場合はドアを開けて駐車する場合も多い。つまりドアを半分くらい開けてそこから顔を出してバックするのだ。ルームミラーでバックで入れるよりもその方が確実であり「音」も聴こえやすいので安全だ。そこまでして駐車している人はほとんど見かけないが職業ドライバーならばよくその方法を使う。むしろ常識的なバックだ。ミジンコも元職業ドライバーなので先輩方に自信があってもこの方法の方が良いと教わった。
アクセルとブレーキを踏み間違えたことって皆さんどのくらいあるだろうか?ミジンコは1度もない。1度で大事故だろう。そこまで足さばきの感覚が備わっていない人はクルマの運転をしてはならなかったのだ。練習するにしても限界がある。ブレークとアクセルを間違えてしまうほどの人は運転はするべきではない。この当たり前のことが社会に浸透していかないことには何度でもこの大多数のドライバーからは「なぜ、そんな間違えを起こす!?」と驚かれる危険なドライバーたちは「遅かれ早かれ」で事故を起こす。一生事故を起こさないなんてことは先ずないだろう。必ず起こす。その時の事故の重大さの重い・軽いはあるにしても事故は起こす。
こういってはなんだがミジンコでさえどうしても必要なときにしか運転はしない。皆さんがひくほどに運転していた人間が今はほとんど運転をしないのだ。わざわざリスクを取ることはないからだ。運転が不得手だと自覚しているのならば運転はするべきではない。自分だけの問題ではない。クルマを運転する理由を考えるよりも、事故を起こしたときに被害者が出るということを先に考えるべきだ。一度でも同乗者に「運転がヘタクソ」と言われたことがある人たちは要注意だ。人を轢いてしまう前に運転さえ諦めればその先の人生にも色々と楽しいことがあるはずだ。過失であろうとも人の命を奪ってからではそのドライバーの人生も本来あったはずのものにはなるはずもない。一生そのことで苦しむくらいならば運転をしない多少不便な生活くらい我慢できるはずだ。個人的には運転しなくとも不便とさえ感じない。徒歩だからこそ見られる景色を毎日楽しんでいる。
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