ミジンコは酒を止めているわけでもないのだがショットバーだとかダイニングバーといった酒を出すことが主たる飲食店でアルコールを飲むときと飲まないときがある。その店に対してある種の責任を感じているとき、言うなればその店を本気で支援しようと考えているときはアルコールは飲まない。ひたすら店の観察に努め他のお客様たちの様子を窺っている。どんな客層でどんなことを好む傾向があるのか?ひたすらそれが知りたいからだ。そこで得た情報がたまにブログで語っている個人的な手弁当での支援につながっている。たった1枚のショップカードを作るにしても適当には作れない。メニューをデザインするにしてもお客様の目の配り方などが知りたくなるのだ・・・・が、そんなじーっとお客様を見るわけにもいかないので先にそういったお客様と仲良くなってしまうと後々ラクになる。
ちなみに自分がそうやって個人の店舗を毎年何十件も手伝っていることをどのお店の常連のお客様でもご存知ない。ミジンコが店に口止めしているからだ。いつかはミジンコはいなくなる存在であり、自分が持ち出しで手伝っているものの将来的な利益などは一切求めていない。そんな変わり者の存在は現実に何年もその行為を見るまでは誰も信じないからだ。助けを求めてくる店の店主ですら最初は信じちゃいない。誰かに理解されたいからやるのではなく自分がやれば少しは誰かが助かると思うからやっている。自分への金銭的なメリットは一切なく負担ばかりだが心地良いのだ。
ちなみにミジンコがミジ妻が本当に凄いと感じているところはミジンコのこの活動を反対していないところだ。そういったお店への支援は1年で1店低いところで10万円くらい、ほとんどの店ではその倍かもっとかかる。紙代やインク代だけの計算でだ。ミジンコのデザイン料を入れたら(ピーーーー!)万円だ。例えば20店舗に毎年20万円かかるとして総額400万円。ドレスだの宝石だのは買える金額だ。クルマだって買える。でもミジ妻はそれはいいと言う。街に個人経営のお客様を大切にする素敵な店は増えたほうがいいって言うのだ。ミジンコもそう思う。二人が昔から通っている西麻布界隈には見本にしたい洗練されたお店が数多くあって、他の街にもそういうお店が増えていけばもっと楽しくなって結果として我々にも大きなメリットはある。大して必要でもない宝飾品を買うくらいならば繁盛するレストランがひとつ増えた方がずっと望んだ世界だ。
そういった飲食店などの常連さんのほとんどはミジンコと付き合う内にミジンコにとても敬意を示してくれるようになる。口を揃えて「最初は変な人かと思った」か「馬鹿だと思った」と言われるのだが・・・・・w
まぁ、ミジンコが馬鹿なのかそうではないのかは置いておくとして、ミジンコが初対面の人にも馬鹿みたいな話しかしないのは事実。難しい話など一切しない。そりゃ経営者としてのビジョンだの、難しい学問の話だの、世界経済についてだの、話せと言われれば話せなくもないが夜のバーでそんな話を求めている人たちはそうはいない。くだらない話こそが最高のつまみなのだ。
どれだけ馬鹿げた話をしようともミジンコの別の面を察してくださるお客様たちがいる。社会経験豊富でご自身も明かしはしないが優れた実績や実務能力を有する人たちは勘がすこぶる良い。自己紹介がまだでもミジンコが代表取締役だと察する方々は結構いる。そういえばミジンコもそこらへんはなんとなく察する。額面通りには受け取らないで裏側を察する。それは社会人としての最低限のスキルだ。
対して、ミジンコが馬鹿話をしたときにその額面通りに受け取るお客様たちも多くはないがおられる。例えば、このブログを長年読んでいても本当にミジンコとミジ妻の仲が悪いと信じているような人たちだ。多くの人々には信じられないような話だろうがそんなケースもある。いったいどこまで察することができないのか?とこちらも驚くときがある。病名がつくような症状だとは思うのだがここではその話は控える。もう1行ごとに注釈をつけないとこちらの真意がまったく汲み取れないのかと恐ろしささえ感じる。
このブログではおちゃらけた記事も多数掲載している。ミジンコの私生活の部分をミジンコなりに表現した記事だ。それをバカバカしいだとか幼稚だとかと言われてもこちらはそういう意見の人たちって実際の生活でどのくらい周囲からひかれているのかな?という疑問が先に立つ。さすがにブログの方針を変えようとは思えないのだ。例えば、バーで大勢が楽しげに話しているときに「その話つまんない!」と言う人がいたら、おかしいのはどちらの方だろうか?そこが分からない人たちが多くはないが存在するのだ。自分がつまらないと感じたことがイコールとして他者がつまらないことではない。そのつまらないと感じたことが他者にはこの上なく面白いという可能性がある。このブログでのおちゃらけた記事の数々はそういうものだ。それが分からないでいる人は自分が絶対無比で正しいと信じているようだがその自信がどこからくるのか?先ずはブログなりfacebookなりでもやってみれば自分を客観視できるのではないだろうか?もうやっているのだろうか?もうやっていて自分がネットで発信することがどの程度の注目を浴びているのかも分かった上でこのブログを自分好みに修正したいってことだろうか?勘弁してくれ!
バーでもブログでも「馬鹿なこと・だがたまにはそんな話も良いじゃないか」といった話のときに、それを額面通りに「馬鹿な話」と受け取る人物には注意している。そいつがとんでもない馬鹿だからだ。本当につまらない人、寒い人は他者から「つまらない」とは言われないものだから自分のつまらなさを自覚していないときがある。指摘されないのはその人が正しいからではなく、相手にすると面倒だと思われているからだと分かっちゃいない。皆が楽しみにしていること、楽しんでいることにいちいち水をさすような人間が面白さについて本当に「分かっている人」だとは到底思えない。馬鹿馬鹿しい話をより楽しむためには知性が必要だ。馬鹿馬鹿しい話を笑えないでつまらないだとか幼稚だとか捉えているその人が単純にアタマが悪いからその話を本当は理解できていないなんて笑えない状況すらある。馬鹿なことをやっている人を本当に馬鹿だと信じるヤツが馬鹿ってことはよくあることだ。
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