松江市教育委員会が市立小中学校に「はだしのゲン」の閲覧制限を求めたことに対し、「自由に読めるように戻してほしい」と求める電子署名活動がインターネット上で始まり、19日夜までに約1万人分の署名が集まった。
活動は署名サイト「change・org」で行われ、堺市北区の学童保育指導員樋口徹さん(55)が16日から署名を呼び掛けている。樋口さんは9月にも、集まった署名を松江市教委に提出する予定。
樋口さんは、学童保育の平和教育にはだしのゲンを活用しており「6~9歳の子供も、作者の反戦のメッセージを受け止めている。残虐なシーンはあるが、子供はあまり問題視していない」と話している。
ソース元:
河北新報
こういう教育委員会の馬鹿げた措置を見ると教育委員会の存在意義そのものに疑問が出てきた。教育委員会というものが子供たちの教育を受けるチャンスを潰しているのでは本末転倒だ。
反対運動の署名がアッという間に1万人分も集まったことはごく自然なことだ。残虐なシーンを問題視してはだしのゲンから原爆の恐怖とその後の厳しい社会を学ぶチャンスを失うなんて子供たちには悲劇だ。教育に絶対はないとは思うが、はだしのゲンに触れることは被爆国・日本の小中学校生にはまさに「絶対」に必要なことだ。
せっかく有益な情報を読み易い漫画というカタチで先人が残してくれたというのにそれに閲覧制限を施すとはなんという愚かな教育委員会だろう。この教育のなんたるかをまったく理解していない松江市教育委員会も原爆の悲劇を隠ぺいしようとした教育機関として日本の歴史に記すべきだろう。被爆国の教育委員会が原爆被害から子供たちの目をそむけさせようとしているのだ。こんなことが許されるわけがない!
ちなみにミジンコははだしのゲンのアニメーションを小学校で観たが人が溶ける描写などを友達たちと「うわーっ!」などとふざけた感じで楽しんでいたしょーもないガキだった。本当に犠牲者たちのことを考えもしないでグロ映画を楽しむような感じではしゃいでいた馬鹿な子供だった。それでも年齢を重ねていけばそれが子供のときのこととはいえダメなことをしていたなぁとは思う。深く反省するというほどではないが、まぁ、馬鹿だったなといった程度の反省はしている。そして今は原爆どころか全ての核エネルギーが世界に与えているリスクを懸念して十数年に渡って自己の利益追求とはまったく別のところでいつかは叶う原発・核ミサイルがゼロになる世界構築のために活動している。子供の頃にどんな態度を取っていようがその時に見たことが勉強になり、次の犠牲者を出さない決意にもつながるものだ。
もうひとつ参考事例を。アフリカで大量虐殺を見て生き残った子供たちがどうなるのか?残虐なことを見たからといって優しさは失わないのだ。むしろもう2度とそんな世の中は望まないと将来の夢は圧倒的に世の中に影響を与えることができる職業に就くことを夢見るのだ。教師、医師、政治家など、自分を救ってくれた人々と同じ職業に憧れる子供たちは本当に多い。残虐なシーンを見たらダメだという考え方は残虐な現実を見ても強く生きている子供たちに大変失礼な考え方のように感じる。なにもスプラッター映画を毎日見せろと言っているわけじゃない。ただ残虐な光景を見たからその子たちの人格形成に問題が生じるかのような考え方は失礼だということ。例えばこのブログをやっているミジンコだって何年もの更新の日々の中で昼間にこの世の地獄を見て夜にはオモシロ画像をブログにUPしている。地獄を見たからといって人は狂うわけではないのだ。教育委員会のやろうとしている過保護な純粋培養計画は子供たちにとっては迷惑なだけだろう。
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