↓もう皆さんご存知であろう呆れ果てる山本太郎の暴挙について。嗚呼、またしても山本太郎の件をブログで取り上げなければならないとは・・・・・。
山本太郎議員、園遊会で天皇陛下に手紙手渡し (報知新聞)
先ず第一に山本太郎ほどの愚かで学ばない人物になにを言ったところで反省もしないであろうし、そもそも直るようなタイプではないことは百も承知している。どんなに批判をされようとも山本太郎は山本太郎のままだろう。ではなぜ山本太郎には馬の耳に念仏なことを記事にしているのか?山本太郎に投票した愚かな有権者たちに何度でも釘を刺したいからだ。山本太郎に投票している時点で絶望的な判断力ではあるがそれでも万にひとつの可能性に賭けている。一万人に一人でも山本太郎に投票したことその思慮の浅さを恥じるようでないとこの日本はお先真っ暗だ。なにしろ今の日本の民主主義はまさに巻き込み型だからだ。言葉を濁さずに言えば、幼稚で無責任で本当の意味でアタマの弱い有権者たちにも投票権がある。その投票権があることが奇跡なくらいに馬鹿な有権者たちがとんでもない議員を生み出し、その負担は国民全員で負担しましょうという制度が今の日本の民主主義だ。沈む船に更に穴を開けてしまうような乗組員たちがいる限り船の沈没は必至なわけだがその穴を塞ぐ人数の方が辛うじて多いから日本丸は傾きながらも沈んではいない。山本太郎に投票するような馬鹿有権者たちの数が日本丸の航行に支障が出る数に達したときには穴を開けたドアホウたちだけではなく乗員全員が海の藻屑となるということだ。
法律やルールを作るにも限度というものがある。ある程度は常識の範囲というものが機能しているということが前提でこの社会は動いている。いちいち、やってはならないことを全部掲げるにも無理がある。本日の園遊会でのマナーもそのひとつだ。出席者たちの常識が大前提となっているからこそ天皇陛下へのセキュリティーも現状のようなものになっていた。例えば、陛下に近付く出席者をSPがタックルして抑え込むなんてことができるわけもない場なのだ。出席者に悪意がないことが前提なのだからそりゃそうなのだ。今「そりゃそうなのだ」と言ったものの、それがたった一人の馬鹿のせいで今後はどうなるのか分からなくなった。陛下へ何メートルまでしか近づけないといったルールが園遊会の場で設けられるなんて悲しいことだ。陛下のご意思にもそぐわないセキュリティーとなることだろう。山本太郎はなにを自分がしでかしたのかを一生理解しないのだろうが、その罪は重い、重過ぎる。
皇室に政治的ないかなることも要望として求めることはこの日本では許されないことだ。皇室の政治利用は許されない。それを国会議員が悪びれもせずに平気で破った。そもそも山本太郎の嘆願書のような陛下への「お願い」が失礼極まりない。まるで天皇陛下が福島の現状を憂いていないかのような言動を山本太郎は述べているからだ。皇室が福島の現状を憂いていないわけがない。むしろ本当はもっと福島に関わりたいというのが皇室の望みだろう。東日本大震災から皇室は一貫して被災地を憂いて過密スケジュールの中、被災地への支援も行っていた。そうは言っても皇室はなにをどう積極的に行うということにさえ配慮しなければならない。それが皇室だ。義務は山ほどあるというのになんらかの主張は許されないという非常に不遇な環境とも言える。山本太郎に言われないでも皇室は原発事故を憂いている。山本太郎に言われないでも皇室は放射線被害の今後を憂いている。
山本太郎はテロを起こすつもりは無かったと言うことだろう。しかしその主張は通らない。実際に手渡しで天皇陛下に手紙を渡すことに成功している。その手紙に皮膚を浸透する毒物や細菌が塗布されていたならば大変なことになるところだった。大袈裟なと山本太郎は笑うことだろう。しかし笑いごとではないのだ。僅かな可能性とはいえ、全てのリスクを排除してこそのセキュリティーだ。わざわざ場が騒然となるようなことをやる必要はない。山本太郎は園遊会の今後のセキュリティーのあり方を窮屈な意味で改悪させたのだ。これは皇室にとっても悲劇だ。
山本太郎は即刻議員辞職するべきだ。今回の園遊会の件のみならず既に議員どころか社会人として欠格という不適切行為を数々引き起こしている。既に議員辞職としてはリーチどころか何度も限界点を突破している。このままこの議員が国会議員の資格を有することはもはや許されない段階にきている。山本太郎に投票しておいて今の事態を知らんぷりしている有権者たちも恥を知るべきだ。馬鹿の巻き込み型の民主主義なんてものをいつまでも続けて貰っては困るどころかまともな有権者たちの方が先に死ぬ。
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