記事タイトルが長いがまだ書き足りていない。本当はこういうタイトルにしたかった→「小泉純一郎元首相は自分が目立ちたいときに注目されるようなワンフレーズを言うが、その目的達成の為のロードマップを示さないどころかどういう課題があるのかも把握しておらず、解決が困難を極める難問は他者に丸投げしているいい加減で適当なお調子者だ」
常々このブログでは述べているがミジンコは今よりももっと自民党を支持していた頃でも小泉純一郎元首相が嫌い。簡単に言えば適当なことを言って他人に丸投げして責任は取らないヤツなんて大嫌いなのだ。リーダーが実務はエキスパートに丸投げして責任だけは自分が取るという姿勢ならば受け入れられる。小泉純一郎なるズバッとモノを言う割には後で「俺、知らんもんね~」という態度を取る元総理大臣は毎度毎度マスコミが喜びそうな世間を揺るがすことを言う割にはアフターケアが一切なし。その方針に従って動いていた部下たちの立場なんてあったもんじゃない。ボスが敵前逃亡どころか作戦開始とともにどこかに消えてしまうのだから最悪だ。皆さん覚えておられるだろうか?いや忘れている人がいるわけもないのだがこの元首相は「痛みに耐えろ」と国民に呼びかけたあと国民がずっと痛みを感じているままなのになにもしないまま政界を引退したのだ。「痛みに耐えればいつか明るい未来が見えてくる」というわけでは無かったのだ。「痛みに耐えてもずっと痛いまま」←これを先に言っていればあんなに高い支持率は獲得できたはずもないのだ。現実として「痛いまま」だったというのにこの元総理はなにをしれっとまた表舞台に登場したというのか?政界を引退した理由は元総理としての影響力を後の政権に与えることを避けるためでは無かったのか?結局は余りにも影が薄くなった自分に我慢ができなくなったということだろう。本当にいつまで経ってもその無責任さは変わらず終いだ。
規制緩和でこの国になにが起きたか?デフレ悪化と格差社会の拡大だ。郵政民営化は果たして国民に利益をもたらしただろうか?アメリカが喜ぶことだけを追求することが日本の為にはならない。アメリカはあくまでも日本の良きパートナーではあるが友人であることと服従するのではパートナーシップとしては天と地ほどの差だ。小泉元首相のようなアメリカとの付き合い方ではアメリカとは真の友人とは成り得ない。
そう小泉元首相はいつも言いたいことだけやってやりたいことの導入部分、はっきり言えばスイッチを押す作業だけしていつも後の処理は自分以外の誰かに丸投げだ。だから人がついて行かなかったのだろう。あれだけ長い政治家人生で今の政治家に小泉元首相に耳を傾けるどころか時間を割こうとする者すらほとんどいない。その結果として小泉元首相はついには社民党党首と会談している。社民党と原発に関して方針が一致しているかのように言っていたが実際のところは小泉元首相と会談するほど暇でとにかく話題作りをしたい党首が社民党党首くらいなものだったのだ。
小泉新党説は本人すら否定しているがそれはそうだろう。マスコミは小泉純一郎なる自分たちの代弁者のような元首相を持て囃すが自民党内ですら小泉新党、つまり小泉純一郎のようなボスの下でやっていこうなどという者は皆無だ。つまり小泉新党が立ち上がったとしても日本維新の会と似たような現象が起きるということだ。単に今までの言動により信用を失い行き場を失った中古政治家たちと新人という肩書きに隠れた本物の初心者たちが集う烏合の衆だ。
「原発即時ゼロ」だと小泉元首相は言う。言うだけならば簡単だ。現実に今は原発からの電気を利用していないのだから実質的に原発ゼロだ。そりゃ原発ゼロにしたい。ところが原発ゼロのときの火力発電所が使用する燃料に莫大なコストがかかっている。このままでは日本は燃料コストに押し潰されて毎年巨額の貿易赤字を出すことになる。今だって増税増税で青色吐息の国民にこれ以上の負担を強いることが得策とは思えない。企業も苦しい。計画停電のときにでさえ中小企業の倒産が相次ぎ大手企業の派遣切りが急増した。電気を使わない企業は無い。だからそこを簡単に理想だけの方針で固めるわけにはいかないのだ。原発から来る電気であろうとも今の日本には必要なのだ。小泉元首相や山本太郎のような最近「脱原発」を言い始めたニワカ原発反対派ではなく、長年の原発を反対してきたこのミジンコがこういうことを言うことの重みをこのブログをご覧の皆さんに伝わることを切に願っている。ミジンコの方が最近出てきた反原発派よりも遥かに原発を止めたい。この思いの強さには絶対の自信がある。そんな自分の思いだけを優先して経営難になったり生活費にすら困窮するような人々を増やしたくはない。あくまでも経済活動が優先だ。人々の生活があってこそだ。原発を今ゼロにすることがベストの選択ではないことは原発を止めたいミジンコも認めるより他ないのだ。小泉元首相は元々国民に痛みを強いることをなんとも思わない感性だからこそ簡単に「即時ゼロ」と言えるのだ。
小泉元首相は原発即時ゼロにした後の対応、つまり代替エネルギー開発と普及については専門家や発明家に期待しているようだ。嘘のような話だが元首相レベルで本当にそんないい加減なことを堂々と述べていた。つまりこのミジンコにも期待しているということだろうか?そんないい加減なプランではダメだ。何年後になにが開発成功するのかも分からない内に原発を全て廃炉にするリスクは大き過ぎる。そりゃ太陽光、太陽熱、地熱など開発は進んではいる。進んではいるのだが時間はまだまだ必要だ。代替エネルギーのエネルギー変換効率を1%上げるためにどれだけの予算と時間が必要なのか、それが分かっていない小泉元首相が「発明家に任せる」と言っているのだ。そんな人物のプランに日本の未来を託しては絶対にダメだ。ちなみにこの変換効率とやらは10年かけて何千億円もかけても上がらないときは上がらない。勿論、実験では成功する場合があるがそれが実用化と普及となるとまた別の世界だ。「さぁ、発明して」と言われて発明できるのならば苦労はしない。いつ発明できるのか分からない、いつ原発の代替となるほどになれるから分からないからこそ、今の段階での原発ゼロはハイリスクなのだ。
現状確定していることは原発を継続しようとも廃炉にしようとも必ず放射性廃棄物の最終処理場を決めて処理しなければならないということ。既に燃料棒を投入した原発を稼働させて電気を得ようが廃炉にしようが最終処分は必ずしなければならない。原発を即時ゼロにしても残された重い課題は変わらないのだ。最後にやらなくてはならないことが決まっているし変更もできないことだというのになぜに代替エネルギー開発・普及までにはリスク軽減として必要な原発まで捨てるべきなのか?本当に即時ゼロ派の思考は鈍く視野が狭い。特に今までいつも投げっ放しで責任を全然取らなかった人物である小泉元首相がリーダーシップを執っての即時ゼロなんて余りにも危険な選択だ。その選択が大失敗と後で判明し日本経済が崩壊して自殺者が続出しても「人生いろいろ」なんて言葉で誤魔化す元首相の姿が今から想像できる。
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