新藤義孝総務相は1日午後、東京・九段北の靖国神社を参拝した。昨年末の安倍晋三首相の参拝には米国も「失望」を表明しており、A級戦犯を合祀(ごうし)する靖国神社への閣僚参拝を批判してきた中国や韓国の反発に拍車が掛かりそうだ。
安倍政権発足後、新藤氏は昨年4月と終戦記念日の8月15日、10月に参拝しており、今回で少なくとも4回目。
古屋圭司国家公安委員長兼拉致問題担当相は計3回、麻生太郎副総理兼財務相が4月、稲田朋美行政改革担当相も4月と終戦記念日に参拝した。安倍政権では閣僚の参拝が続いている。
新藤氏は昨年12月26日の記者会見で、靖国神社に初詣する意向を示した上で「先達に敬意を表すのは自然なことだ」と強調していた。太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で旧日本軍を率いて戦死した栗林忠道中将は新藤氏の祖父。
安倍首相は昨年末の参拝後、「中国、韓国の人の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」として両国首脳に直接説明したいとの考えを示している。〔共同〕
ソース元:
日本経済新聞
閣僚が祖父も眠る靖国神社に初詣に行くことについて日本の大手マスコミは一斉に元日の大ニュースとして扱っている。そのマスコミ各社の姿勢が靖国参拝がまるで悪のごとき報道姿勢で吐き気がする。そんなマスコミの中で今回は日本経済新聞を評価したいのは、新藤大臣の祖父である栗林忠道中将について触れているところだ。安倍内閣の閣僚に就任する以前から新藤大臣は定期的に靖国を参拝していた。当たり前だ。祖父がその靖国の地に帰ってきているのだ。政治家として祖父ならびに英霊たちに祈りを捧げて日本のために働こうと決意を更に深めることのどこがおかしいというのか?
栗林中将については本来はマスコミ各社に是非とも付け加えて報道してもらいたいことがある。栗林中将はクリント・イーストウッド監督の傑作「硫黄島からの手紙」で渡辺謙さん演じた栗林陸軍大将(戦死であるが故に昇進している)だ。映画は勿論のこと完璧な史実とは若干異なるとはいえ、同作品からは栗林中将の誠実かつ強い信念を持つその人となりを感じ取ることができる。アメリカ人のクリント・イーストウッド監督が尊敬の念を込めて栗林中将を描いてくれたことを心から感謝している。映画公開時に同作品を観たミジンコは周囲に盛んにアメリカ人が日本人の目線で硫黄島の戦いを描き、それが日本人にとっても悲劇的なことだったと理解してくださっていることに感動したと言いまくっていた。「硫黄島からの手紙」をご覧になった方々ならば栗林中将のお孫さんが靖国参拝をすることに違和感を覚えるだろうか?同じく映画をご覧になったアメリカの方々がこの参拝をおかしいと思うだろうか?
栗林中将についてミジンコが色々と述べるのはおこがましい気がするがひとつだけ触れたいことがある。父としての栗林中将だ。次女のたか子さん(たこちゃん)に宛てた手紙は以下のとおり。
「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。戦地のお父さんより」
新藤大臣はこのたこちゃんことたか子さんのご子息だ。栗林中将は愛するたか子さんの成長も結婚も、そしてお孫さんである新藤大臣を見ることなく硫黄島で戦死された。その祖父が眠る靖国を新藤大臣が参拝することを批判めいた論調で糾弾するマスコミ、そしてマスコミが海外と称しているものの実質的には海外の2国でしかない中国と韓国も本当に新藤大臣の靖国参拝がおかしなことだと捉えているのならばもはやそれはもう「はじめに批判ありき」でしかないこじつけだ。
新藤大臣と朝日新聞記者との記者会見でのやり取りの一部:
記者:海外からの批判を招いている、靖国参拝についての質問ですが
「国ために命を捧げた人たちをお参りするのに何がいけないんだ!」という答えは 若干論法がずれているといると思います。そのことについて大臣の考えをお聞かせ願いたい
大臣:まず、海外からの批判と言うが、具体的にどこの国からの批判なのでしょうか
記者:えーと、たとえば韓国とか・・・
大臣:例えばではなくて!
記者:韓国と中国・・・
大臣:と?
記者:と・・・いや
私がニュースでよく見るのは韓国と中国からの批判で・・・
大臣:それは『海外から』ではなく『二カ国から』の批判と言ってください
報道記者が「私がニュースでよく見るのは」とは恥ずかしくないのだろうか?この程度の記者が大臣に質問をし大臣の時間を奪うことは国民にとっても不利益だ。さすがに大臣に質問をする記者はもうちょっと程度の高いジャーナリストが務めて欲しいものだ。これでは記者質問というよりも一応は記者という肩書きを持つおじさんがモゴモゴと感想を述べているに過ぎず、総務省のトップを担っている総務大臣の時間の無駄だ。
確かに中国も韓国も海外にはあるのだが普通は「海外」と表現するときにはもっと多くの国々が総じてそうなのだという状況のときに使う。ところがマスコミは中国と韓国のみがいつものごとくギャーギャー騒いでいるときにも「海外では~~~」と伝える。そのおかしさを新藤大臣はついた。そして記者はグウの音も出ていない。
[53回]
PR