朝日新聞に掲載された投書。
(声)日の丸ずらり商店街に違和感(朝日新聞デジタル) ― 52歳の会社員(名前からしておそらく女性)の投稿より
お正月、娘と名古屋・栄に買い物に出た。ふと目に入ったのが日の丸。それもひとつやふたつではない。商店街の両サイドすべての街路灯に日の丸が掲げられていた。
1999年の国旗・国歌法の国会審議中にも異論が出たように、「日の丸」は戦時下、「お国のために命も惜しまず戦う」という軍国主義の象徴だった。街頭演説する安倍晋三首相が日の丸の小旗の群衆に取り囲まれている、出征兵士を見送る映画のワンシーンのような情景が思い出され、楽しい気分は吹き飛んでしまった。
52歳という戦争体験者でもない会社員がここまで日の丸に嫌悪感を募らせながら日本で生活してきている。その生き様に非常に違和感を感じた。商店街に掲げられた国旗をそこまで気にかける生き方ってなんなんだろう?
商店街に並ぶ日の丸を見て「ひとつやふたつではない」だってさ。もうそれは精神的になにか追い詰められている病気の類ではないだろうか?う~ん、この年始に歩いた街の数々で日の丸が掲げられていた場合もあったとは思うのだが正直いって覚えていない。そういう光景を見たとは思うのだが毎年のことなので過去の記憶とごっちゃになっているやもしれない。そのくらい正月からの華やいだ街並みに並ぶ門松やら日の丸やらは当たり前の光景であっていちいち反応する日本人っていったいなんなんだろう?そもそも国旗をそこまで嫌いながらその国で生活していて辛くないのだろうか?当ブログの管理人であるミジンコはどこの国に行ってもそこで国旗がずらっと並ぶ光景は美しいと思うし、他国の国旗でも美しいと思う。日の丸が並ぶ光景はそのシンプルでいて強さを感じるデザインに感動し、日の丸という国旗の下で日本人であることが誇らしく思える。
日の丸や国家を嫌いながらその国で生きるのも認められた国が日本だ。これは世界にも類を見ない寛容さだ。国旗に敬意を払わず、国歌斉唱を拒むような国民は大抵の国で処罰対象となるし、そもそも周囲からの批判で生き辛くなるものだ。日本とはなんと言論の自由が確保されていて、なんとどんな人々にも生活権を与える先進的な国なのだろうかと誇りにさえ思える。ミジンコが敬意を払い、東日本大震災のときの支援に感謝し続けている大国・アメリカ合衆国では残念ながらそこまでの寛容さは見られない。国旗を侮辱し国歌斉唱を拒む者には容赦のない攻撃が加えられる、そういう国だ。そのアメリカの状況を否定するつもりもない。何の為に国家という共同体を形成しているのか、その根幹、象徴ともいえる国旗や国歌を侮辱することは許せないという姿勢は理解できる。日本の寛容さが遥か彼方の次元に行っているだけのことであって尋常ではない環境なのだ。
そんな寛容な国・日本の国旗をそこまで嫌う生き方なんてなんだか勿体ない生き方だとは思う。いったいになにと戦っているのか理解の範疇を超えている。
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