常々、日本の大学教育に疑問を感じている。ミジンコは別にロビー活動には興味がないが国会議員に会うたびに到底大学レベルに達しているとは思えない大学への補助金(税金)負担はおかしいと述べている。その改革に乗り出す議員はいないものかと常に探している状態だ。理由は明快だ。皆さん納税者がそれこそ必死になって支払っている税金は言うまでもなく意義のあることに使うべきであって中学レベル、下手をしたら小学校レベルのことを教えている大学の学生が単位を取得する為に使われるべきではないと考えるからだ。
こういう考えに至った発端もごく単純だ。ミジンコは以前は私立大学でも要請があればイベントやらセミナーやらで話していたのだ。そこで気がついたのは日本の言葉は悪いが無名私立大学は動物園みたいなところもあるんだなぁということ。日本の大学は18歳くらいから入れるらしいのだが5歳児くらいの礼儀作法しか備わっていない学生も見かけたし、ビックリしたのはその学力の低さ、まぁ、本当に学生のレベルの低さに呆れることが重なって、今ではいくつかの国立大学か昔から縁のある国内外の私立大学の協力は無償でもしているが、聞いたこともない私立大学のいかなるイベントへの協力要請も丁重にお断りしている。そんな経緯もありやっと分かったことがある。日本では大学という名前が付いている教育機関のピンからキリまでの差がとてつもないということを。
学生ばかりが悪いとは思えない。むしろそういうバカボンのパパの母校レベルの大学を設立・運営している大人たちがおかしい。民間企業ならばどんなふざけた経営理念であろうともそれも自由だ。なにしろ倒産必至の企業であろうともそこへ補助金が出ているわけではないからだ。ところが大学機関ともなるとタチが悪い。なんとこの日本では2013年度、560校もの私立大学に補助金が与えられているのだ。
平成24年度私立大学等経常費補助金 学校別交付額一覧(PDFファイル 文部科学省)
日本には国立大学も多数あるわけなのだが補助金を受けている私立大学が560校も存在することに驚いた。当然といえば当然だが補助金の額は大学によって異なる。その大学の国への有用性や規模などから補助金負担が変化するのは当たり前のことだ。問題はそもそも補助金を支払う価値があるのか疑問な大学が存在することだ。
さて、文科省もやっと重い腰を上げた。以下のニュースソースの内容はまるで作り話のようだが本当のようだ。本当に今までがどうかしていたのだ。
必修でbe動詞教える大学、文科省が改善要求(Yahoo!ニュース 読売新聞)
文部科学省は12日、新設の大学や学部などの運営状況を調べた2013年度の調査結果を発表した。
中学校レベルの英語の授業で単位認定を行っていたり、教員数が大学設置基準を満たしていなかったりした266校に改善を要求した。
調査は、卒業生がまだ出ていない新設の大学や短大、大学院を中心に、全国528校が対象。学生数が定員と大幅に異なったり、定年に達した教員を雇い続けたりする事例が目立ったほか、
ヤマザキ学園大(東京都)では、必修科目の英語で、be動詞の使い方などを教える授業が行われており、同省は大学教育にふさわしい水準に改めるよう求めた。
仙台青葉学院短大(仙台市)では、新設の学科で専任教員の7割以上が大卒や専門学校卒の資格しかなく、教育を行う体制が不十分とされた。聖隷クリストファー大(浜松市)では、新設の学科で大学設置基準上8人必要な専任教員が、調査時に6人しかいなかった。中部大(愛知県)の新設学科でも、設置基準上、教授4人が必要だが、2人しかいない時期があり、現在も3人にとどまっている。
大学でbe動詞って・・・・・。ちなみにそのヤマザキ学園大を上に掲載した補助金交付額一覧で探してみたら、なんとしっかり一覧に載っていた(518番)。つまり補助金を受けている大学なのだ。その金額は5千560万8千円也。be動詞を大学で再度教えるような大学の為に皆さんは税金を負担したいだろうか?文科省に「大学教育にふさわしい水準に改めろ」と言われている同大学だが、そもそも論としてそんな学校を大学と認めて補助金まで負担してしまう文科省もおかしい。税金を湯水のごとく使っておいて大学に今更になって大学らしくしろと言っているわけだ。大学として認可した文科省の大失態だ。改善要求をした大学が266校も存在するなんてまさに文科省の怠慢だ。
実際、be動詞どころか、分数の計算だとか、ただの作文で単位が取れる大学なんて話も聞く。そういうことは専門学校などの私塾であれば問題がないのだが補助金を受け取る大学ではおかしな話だ。なんの為の補助金なのか、なんでわざわざ税金を投入する意味があるのか、そこを文科省はもっと真摯に捉え、今までのいい加減な補助金交付を猛省するべきだ。
よく就職難だとはニュースなどで聞くがそれは一面では正しくはあるが別の面では必ずしも正しいとは言えない。大卒者が就職がなかなか上手くいかないということは事実ではあるが、大卒者であるのに大卒レベルではないから就職試験の際に弾かれている人々も膨大な数に及ぶ。そりゃ大卒者として給与設定している企業は大卒レベルの人を採用したいのだ。いくら大学の卒業証書を持っていたとしても中学レベルの学力しかないというのであればそりゃ採用できない。就職難といえばあたかも不景気がその理由のように思えるがそれは正しくもあり間違ってもいる。そのことは実のところは勉強してこなかった学生たちの方が理解しているはずだ。安易に大学を増やして、中学レベルの学力しかない学生にも単位の取得を許して大卒者を増やすことはそんな大学を卒業しても行く宛ての無い卒業生たちにとっても不幸なことだ。勿論、そんな大学の補助金を税という形で実は負担している納税者にとっても不幸だ。
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