そういえば生活の党という政党はまだ存在するらしい。小沢一郎の政党なのでどうせまた解党するんだろうと思って記憶に留めることも無駄なことのような気がしていた。で、いつまたぶち壊すのだろうか?政党を壊すことはもはや本能のようなもので止められないのだろうが政党をぶち壊すたびに有耶無耶になる政党助成金はちゃんと国庫に返納してもらいたいものだ。
小沢一郎や高知県出身の元国会議員らが22日に高知市の自由民権記念館にて違憲国会の葬式を開催した。国会の葬式とは穏やかではない。そうは言っても日本国の国会は死んではいないし、違憲だと言っている小沢陣営の主張もなんだか負け犬の遠吠えのようで情けない。すっかり影の薄くなった小沢一郎はこうやってまだ茶番を行っているのだ。こんな男にもちゃんと議員給与が支払われているのだ。ああ税金が勿体ない!
小沢氏ら「国会の葬式」集会開く 秘密保護法成立に抗議(東京新聞)
特定秘密保護法を成立させたのは国会の自殺行為だとして、小沢一郎生活の党代表や高知県出身の元国会議員らが22日、高知市の自由民権記念館で「違憲国会の葬式」と題する集会を開いた。
1882年に明治政府による言論弾圧で、高知新聞と同名の新聞が発行禁止処分を受け、抵抗運動として「新聞の葬式」が開かれたのを模した試み。平野貞夫元 参院議員が「秘密保護法成立は議会政治の自殺だ。行政権力が拡大解釈して運用でき、人間の生存権に干渉する」と「弔辞」を読み上げ、県内外から駆け付けた 約150人が国会議事堂の写真を飾った祭壇に献花した。
県外から人を集めてもたったの150人しかこのママゴトに付き合う人々はいなかった模様。中小企業のちょっとした催しでももうちょっと人は集まる。これが今の生活の党の力だ。小沢一郎本人は気がつかない一番の問題はこういうくだらない催しについて「中止するべきだ」と進言する側近が存在しないことだろう。そりゃ今までの小沢一郎の側近たちがどんな目に遭い、逮捕・有罪判決まで受ける姿を見ていれば誰も小沢一郎についていこうなどとは考えられないのかもしれない。結局はこういう晩年となるのだ。
小沢一郎が見本としていた金丸信の晩年は酷いものだった。あれだけ権力を振るっていた人物が晩年は周囲から人が去り孤立無援の状態だった。散々金丸信の威光で助けてもらっていた議員たちも金丸信の力が衰えるとあっという間にそっぽを向いて金権政治批判をしていた。所詮、人望ではなく金の力でつなぎとめる人間関係なんてそんなものだ。小沢一郎はそんな師匠・金丸信の最期を見ていたというのに自分も同じ道を歩んでしまっている。結局はそうするしか人を集められない人間の行き着く先は同じということだろう。
違憲国会の葬式なんていう馬鹿馬鹿しい集会を開くのではなく、国会議員・小沢一郎の葬式の方が現状に即している。小沢一郎は、国会議員としての仕事を放棄し国会には足を運ばず、代議士(小選挙区で選出された衆議院議員)としての職責を放棄して震災後も自分の選挙区に赴かずに選挙区の声を聴くことを拒絶していたのだ。これこそ国会議員としては死んだも同然だ。死んでいるのは国会ではなく国会議員・小沢一郎だ。
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