日本テレビの「笑ってこらえて!」を録画しておいた。事前に数学者・河東泰之教授についての特集があると聞いていたからだ。以前に
望月教授について触れたことがある。ミジンコごときヘッポコが解説できるわけもないというのが河東教授についても同じ。日本にはとてつもない数学者たちがいて日本どころか世界の未来を切り開いているのだ。ミジンコも今やハイテク産業に於いて量子力学に関わってはいるが勉強しなくてはならないことが途方もなく多くて「社会人になってからこんなに勉強しなくちゃならないとは!!!」と泣き言を言う日々。そんなスーパーメガトン難解な分野を教える側である数学者たちはまさに宇宙人レベルだ。河東教授は作用素環論という分野の権威だ。この作用素環論とはどういったものかをwikipediaからの引用でご覧いただこう。
作用素環論(wikipediaより)
作用素環論(さようそかんろん、英: theory of operator algebras)とは、作用素環とよばれるクラスの位相線型環を主に研究する数学の分野である。研究対象の直接的な定義からは複素数体上無限次元の線型代数学と言え、普通関数解析学に分類されている。しかし、その手法や応用はいわゆる代数学・幾何学・解析学の諸分野に幅広くわたり、アラン・コンヌが提唱する非可換幾何の枠組みを与えていることでも特筆される。
作用素環とは普通ヒルベルト空間上の有界線型作用素(連続な線型写像)のなす複素数体上の線型環に適当なノルムによる位相を定めたもので、随伴作用 (英: adjoint operation)とよばれる対合変換 (英: involution)で閉じたもののことを指す。この随伴作用は複素行列の共役転置作用をヒルベルト空間上の作用素について考えたものであり、有限次元の線型代数学と同様に自己共役作用素やユニタリ作用素が理論の展開に重要な役割をはたす。主要な作用素環のクラスとしては、局所コンパクト空間上の複素数値連続関数環の「量子化」を与えていると考えられるC*-環や、可測関数環に対応するフォン・ノイマン環があげられる。それ以外にも、考える作用素環の無限性をとらえる非有界(自己共役)作用素も決定的な役割を果たしているし、多様体上の微分構造に対応するより繊細な構造の位相環と、それらに対するド・ラームコホモロジーの類似物なども研究されている。 このような作用素環が可換になったり I 型とよばれる簡単な構造を持つ場合にさまざまな(作用素環以前の)古典的な対象が現れ、作用素環の構造が複雑になるほど古典的な数学では捉えにくい複雑な状況が表されていると考えられる。作用素環論の主な目標として、このように作用素環によって「非可換」化・量子化された幾何的対象を表現し、通常の図形と(可分)位相群などとを統一的に理解することや、それらに対するホモロジー・コホモロジー的な理論(K理論)の構成と理解などが挙げられる。
1930年代のフランシス・ジョセフ・マレーとフォン・ノイマンのフォン・ノイマン環に関する一連の論文や、1940年代のイズライル・ゲルファントとマーク・ナイマークによるC*-環に関する研究が作用素環論の始まりだといわれている。可換環と局所コンパクト空間の圏の同値性を与えるゲルファント・ナイマークの定理はアレクサンドル・グロタンディークによるスキームの概念にも影響を与えている。1970年代に富田・竹崎理論を駆使してコンヌが III 型フォン・ノイマン環の分類をほぼ完成させた。1980年代にはヴォーン・ジョーンズによって部分因子環 (英: subfactor)の理論と、その派生物としてトポロジーにおける結び目の不変量を与えるようなジョーンズ多項式が得られた。一方で作用素環はそのはじめから数理物理(特に量子力学)の定式化に使われることが意識されており、現在でも物理学とのあいだに活発な交流がある。
いかがだろうか?簡単だったかな?(-_-;)
一応、
自分の名誉の為に言っておくと、ミジンコは上記の解説くらいは理解している。あめりか~の大学のコンピューター・サイエンス学部で数学たくさん勉強したっすからね~♪・・・・・本当はこれを理解できるよう(英語で他者に説明できるよう)になったのは30代になってから。量子力学の知識が仕事上どうしても必要となりヒーヒー言いながら勉強し、そして今も勉強しないと今の数学に追いつけない、いや追いつくどころか離されているよ、ママン!ヽ(´Д`;)ノ
さて、本題。
その録画しておいた「笑ってこらえて!」で沖縄の街頭インタビューをしていた。沖縄のちょっと酔った女性3人組へのインタビューだ。左側の女性が座右の銘として
「死ぬこと以外はかすり傷」と言っていた。
すげぇ発想だ。この女性はテレビやコンロや冷蔵庫が家にないそうだ。無くとも大丈夫だとそれらが無い生活で分かったらしい。どんなことがあっても死ななければかすり傷程度のことだと考えれば人生がだいぶラクになるらしい。俺もこれを座右の銘にしたい。
ブログに数千件はイヤガラセや脅迫を受けてもかすり傷ひとつ負っていない。海外で何度も武装集団に襲われてもかすり傷程度。製作費130万円の着ぐるみを「邪魔!」と言われて捨てられたときも・・・・も・・・・・あれは痛かった。
小金井市で自転車で爆走中に向かってきたフライング・カブトムシ(メス)が顔面にヒットしたときも超痛いかすり傷だった。小金井を流れる玉川上水沿いで自転車でヘビ踏んだときは心臓が止まった(当社比)。小金井でハクビシンをとっ捕まえたときに首の頸動脈をハクビシンの鋭い牙がかすったけれどあれもかすり傷!なんだ、小金井、超デンジャラス地帯じゃないか!
ともかく「死ぬこと以外はかすり傷」、良い言葉だ。
いじょ!
[43回]
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