あの8月のクーデターでミハエル・ゴルバチョフ元大統領は今や世界が注目するクリミア半島フォロスの大統領別荘に軟禁された。あのクーデターでゴルバチョフ元大統領はソ連最初で最後の大統領となった。ゴルバチョフ元大統領が失脚して台頭したエリツィン氏がソビエト連邦からロシアの独立を進め実現した。ロシアの独立とともにソビエト連邦は崩壊。ロシア初の大統領となったエリツィン氏の後にロシアのリーダーの座に君臨しているのがプーチン大統領。エリツィン政権後のロシアでずっと権力を握っている。プーチン大統領はエリツィン元大統領よりもむしろゴルバチョフ元大統領への敬意を常に示している。政治家として尊敬しているという。
ゴルバチョフ元大統領は側近たちにクーデターを起こされるほど隙があった。ただしその隙はゴルバチョフ元大統領は敢えて作っていた隙だったように思う。この穏健派の政治家はペレストロイカ(改革)を推進する立場としてKGB(現FSB)が暗躍して政敵やジャーナリストたちを粛清するようなソ連から脱却しようとしているかのように見えた。そしていとも簡単にクーデターを起こされてしまった。
ゴルバチョフ元大統領を尊敬していたはずのプーチン大統領はFSBを旧KGBのような組織に戻してしまった。 プーチン政権を批判していた人物が次々と不審な死を遂げている。
2006年10月、反プーチンのロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんが、自宅アパート内にてルスタム・マフムドフによって射殺。プーチンはこの事件を「恐ろしく残酷な犯罪」としたうえで、「犯人が罰せられないことがあってはならない」と述べている。なんだかクリミア半島についてのプーチン大統領の白々しい発言の数々とかぶる。この事件は2008年6月に容疑者4人が起訴され、捜査の終了が発表された。プーチン大統領へは起訴どころか逮捕状も出ていない。
プーチン大統領を批判してイギリスに亡命し写真が公開されたKGB・FSBの元職員アレクサンドル・リトビネンコ氏が2006年11月に死亡。死亡原因として、「多量の放射能物質ポロニウムを食事などに混合されて摂取したため」とイギリス警察が発表。イギリス政府内では、ロシア政府による暗殺との見方が強い。イギリス警察当局は、この事件で主犯とされる旧KGB元職員アンドレイ・ルゴボイ容疑者と実業家のドミトリー・コフトゥン容疑者の身柄引き渡しをロシア政府に求めた。ロシア側はこれに対し身柄引き渡しを拒否している。
2007年6月21日にはイギリスに亡命したオリガルヒ(ロシア新興財閥の資本家=政治的影響力を持つ)であるボリス・ベレゾフスキー氏への暗殺計画が発覚し、その容疑者がロシアに強制送還される事件が起こっている。誰がこの暗殺を命じたのかは定かではないが重要参考人の一人がプーチン大統領であることは間違いない。
自分への反旗を恐れることなく粛清を行わなかったゴルバチョフ元大統領は1度はクーデターで失脚したが数年前に新党・ロシア独立民主党を立ち上げるほど今もって政治家として健在だ。支持者も多いという。そのゴルバチョフ元大統領はプーチン大統領の政党である統一ロシアについて「官僚の党」と揶揄し、「それはソビエト連邦共産党の最悪の形だ」と批判している。
プーチン大統領のようなやり方であれば国内の力によって失脚することはないのだろう。なにしろ反抗勢力をことごとく粛清してしまうのだ。今のロシアには言論の自由など存在せず、喋ったら殺すといった現状なのは数々のジャーナリストたちの不審死が物語っている。ゴルバチョフ元大統領とプーチン大統領、一方は暴力によって失脚して、もう一方は暴力によってその権力の座にしがみついている。政治家としてというよりも一人の人間としてどちらがカッコ良いかは言うまでもない。
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