ダダンダンダダン!ダダンダンダダン!ダダンダンダダン!ダダンダンダダン!ダダンダンダダン!ダダン・・・ダン・・・・・ダダン・・・・・
さてと、次回作が完成するまで冬眠するかな!!!。・゚・(ノД`)・゚・。
ジョン・コナーの影が薄すぎる・・・・・。
監督のMcGは思ったよりも過去のターミネーター・シリーズを尊重した作品作りをしたと思う。
ただひたすらMcGはMcG以上の仕事ができないというだけのことだった。ジェームズ・キャメロンと同じ演出力をジョナサン・モストゥやMcGに求めてもそれは無理な相談っていうことの結果が「3」や「4」だということか。
McG監督に責任が大だと思うのは編集作業だと思う。「4」に関しては映像のブツ切り状態で見るも無残。サンダンス出品の低予算映画でさえ、もうちょっとまともな編集をしている。これはもしかしたら、流出した当初予定だったと噂されるラストの変更によって、急遽、大忙しとなり編集作業に時間を割けなかったのかもしれない。
確かにいろいろと酷いデキではある「4」ではあるが、作品を最後まで観て思った、いや正確には気がついたというべきか・・・・・「ターミネーター4」って邦題がついているから勘違いしやすいが、原題の「Terminator Salvation」をもっと意識して観れば見方が変わったかもしれない。
つまり「ターミネーター4」は一連のターミネーター・シリーズの中では番外編という扱いなのかもしれない。今後作られるであろう「5」も「6」も然り。
「Salvation(サルベージョン)」とは「贖罪」という意味であり、今作の主役は明らかにマーカス・ライトだったことを考えると納得がいく。
「4」という邦題で勝手につけられた連番は意識するべきではなかった。そもそも続編などでは無かったのだから。
マーカス・ライトという主人公が自らの犯した罪に苦しみ、罪滅ぼしとしてなにをするべきかを模索する旅、それが「Terminator Salvation」だった。
そのマーカスの旅にターミネーター・シリーズではお馴染みの顔触れが登場することによって、以前からの根強いファンを喜ばせつつも、番外編としてのマーカス・ライトの活躍を描いたってのが本当のところだと思うのだが、なんでか「T4」という言葉が一人歩きしてしまった感がある。
ミジンコも作品を観るまでは続編だと思っていた。
「Terminator Salvation」の問題点としては番外編でしか無い作品なのにも関わらず、本編の主役であるジョン・コナーに重大な設定を残してしまったこと。
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ネタバレ: ジョン・コナーが心臓移植で生き残るってどうよ?あの環境で移植手術が成功することも奇跡的過ぎる。ケイト・コナーって心臓移植の専門医だったっけ?今後、ジョン・コナーは心臓移植をした無理のできないカラダで過酷なミッションをこなさないとならなくなった。また以降の作品で人類のリーダーとして活躍するジョン・コナーがそのカラダでどこまで機械と戦えるのか不自然な描写の連続になるのは必至。このラストについてはMcGは無責任過ぎる!そもそもジョン・コナーが誰かの命を犠牲にして自分が生き残るという選択を良しとする人物なのか、そこも疑問が残る。ケイト・コナーも生きている人間の心臓提供を認めるような人間なんだろうか?
「Terminator Salvation」の冒頭は結構好き。20年以上もスカイネットと人類の全面戦争はどうなっているんだろうと「1」や「2」の回想シーンから想像はしていたのだが、A-10が飛んでいたり、ジョン・コナーがここまで成長したか!と嬉しかったり。あの冒頭の勢いのまま最後まで突き進んで欲しかった。
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