別に飛びたくないのに飛行機やヘリから降下している者です、こんばんは。
世間一般ではお金を払ってスカイダイビングをする人もいるとか。恐ろしいこってす。
最近、国内でのフリークライマーが増えたとか。たぶんそういう練習施設が増えたり、漫画や映画の影響もあるとかなんとか。
フリークライミングとは言っても全然フリーではなくて重力には逆らえない。人間は高いところから落ちたら死ぬ。
危険な行為を「スポーツ」のように捉えることは
イカン。
ひとたび、スポーツと意識してしまうと、まるでその行為自体が「死ぬことを想定していない遊び」のような印象を受ける。これが良くないと思う。
毎年、60名。これがどういう人数かというとスカイダイビングでの事故死者数。毎年、世界で平均して60名の方が亡くなっている。
フリークライミングで有名な場所では大抵は死亡事故がある。
こういうことをスポーツとしてイメージ付けすることが、覚悟の無い人々の参入障壁を希薄化して、覚悟がないままの事故死者にしてしまっている。
スカイダイビング落下事故で会社に約1億円の支払い命令/結果責任認定/横浜(カナロコ 神奈川新聞)
↑この地裁の判決は今後の高裁判決でどうなるかはわからないが、一点、画期的に思えたのは亡くなられた客側である女性が「事故があった場合に賠償責任追及はしない」という同意書にサインをしていたとしても、「女性は死亡などの危険性を受け入れていたわけではなく、気軽で安全な商品スポーツとして参加した」と指摘したところ。
つまり、女性はスカイダイビングに参加したからといって「死ぬとは思っていなかった」と裁判所が判断したのだ。
ミジンコもそう思う。亡くなられた女性は、まさか死ぬようなことになるとは想像すらしていなかったと思う。
でもスカイダイビングで年間60名が亡くなっているのは事実。そんなに簡単なスポーツ(苦笑)では無い。
国内では初めてのタンデム(後ろにインストラクターがくっついての降下)での死亡事故。海外でもミジンコは聞いたことが無いようなケース。
この事故でも本当の原因は解明されていないままの地裁判決となった。こんなことは異例中の異例だと思うが、残された証拠だけでは解明することが難しいとも思う。ミジンコにも想像がつかない。
なぜ想像がつかないか?
通常、タンデム時には、ドローグシュートという小型の減速用のパラシュートを開き、その後にメインパラシュートを開く。二人分の体重を減速させるためにはドローグシュートが必須。
そのドローグシュートは開いた後があるらしい。でもメインパラシュートは開いていない。そして予備のパラシュートは開いている。
検証ではドローグシュートと予備パラシュートがからんだという分析があるが、事故後の調査で不具合が無かったとされるメインを開かないでなんで予備を開いたのか?と謎が深まる。
そこでインストラクターの操作ミスという可能性も言及されたわけなのだが、正直、ミジンコのようなベテランからすると(どういう装着の仕方をしていたかは知らないのだが)操作ミスが介入できるような仕組みになっていないと思ったりもする。
クルマで言えばブレーキを踏もう!と決断したときにギアチェンジするような全然違う場所を操作するような感じなので。勿論、そういう操作を全く否定できるわけでもないので可能性としてはあるのかもしれないが熟練者の操作としては違和感はある。
予備パラシュートには大抵は、高度計(ミジンコの場合は自分の判断に頼りたいので付けていない場合もあり)がついていて、降下中に意識を失っても自動的に一定高度まで下がるとパラシュートが開く仕組み。
インストラクターの方が自分で予備パラシュートを開いたわけではないのかもしれない。そうなると、なぜドローグを開いているのにメインを開けなかったのか?といった疑問のループになり、結局のところ裁判でも堂々めぐりだったのではないかと見ている。
たったひとつの問題発生で死亡事故につながるのがスカイダイビングだということが証明された事故だとは思う。
軽い気持ちでやるべきことではない「商売にしたい人たちがそう呼ぶスポーツ」、本当は「死ぬリスクが伴うこと」が簡単に出来過ぎる世の中になったのが問題だ。
スカイダイビング然り、フリークライミング然り。
テニスやゴルフ、そしてランニングのような本来の意味でのスポーツとはかけ離れたリスクがあるのに、数百、数千回は経験しているミジンコが毎度覚悟をして臨んでいることをスポーツのように扱うことにはどうしても納得がいかない。
スポーツとしてのスカイダイビングやクライミングではなくて、死と直結した行為であるスカイダイビングやクライミングとしての認知度を高めるべきだと強く主張したい。
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