脱原発派って福島原発事故以来、増えたよねぇ・・・・・(遠い目)
↑この皮肉を込めた言葉を当ブログの管理人であるミジンコが述べていることには多少なりとも本物の脱原発派の悲哀を感じて取っていただければ有難い。今ではまるで冗談のような話になってしまうがほんの数年前までミジンコは「脱原発派が増えないかなぁ~」と嘆いていたのだ。勿論、現状のような過激な脱原発活動が雨後の筍のように次から次へと行われる未来を望んでいたわけではない。以前は脱原発なんて一切言っていなかった政治家や活動家たちが目立つための材料として脱原発という考え方が利用されている今の状況にも憤っている。
先日、余り店頭では見かけないような複数のイチゴが連なったようにも見える扇型のイチゴを放射線の影響だと称して危険視している人物のツイートが炎上していた。当事者としては本気で言っているようだったが、常識ある大人たちからしてみればもはやウケを狙って冗談で言っているのか判断に迷うレベルのものだった。言うまでもなく農作物は必ずしも規格通りのサイズや形で育つわけではなく、そういう規格外の形状をした野菜や果物だってある。そんなことも知らなかったのか、イチゴは原発事故の影響だと主張している人物の愚かなこと、原発を批判するためには冷静な判断力も調べるという行為も欠如しているニワカ脱原発派の典型的な姿だった。
元々は2ちゃんねるの【商品として出せないイチゴを農家の人からおすそわけされた】という主旨のスレッドに貼られた上の画像を見た脱原発を訴えるツイッター・ユーザーが放射線の影響だと騒ぎ立て、更にそれを支持するフォロワーたちまで現れる始末だった。苺農家の方々からしてみれば大迷惑だろうに。
今や官房長官までもがその事に言及しなくてはならないほど漫画「美味しんぼ」の鼻血などの表現が問題視されている。本当に語るのも馬鹿馬鹿しい話なのだが漫画の中では「鼻血=被曝」と断定されている。鼻血の原因には色々あるであろうし、結論が強引過ぎる。漫画家が世論を誘導したいが為に科学的ではないことを断定して表現して(ほとんどは苦笑だろうが)読者の恐怖を煽ることはどうかと思うが、基本この問題については話題にすること自体が漫画家・
雁屋哲や発行元である小学館の思うツボのような気がしてずっとブログではスルーしてきた。
今や原発を批判している人々のイメージはどうだろうか?被曝云々を語るとまるでアホに見えないだろうか?そこを非常に懸念している。本来、脱原発は推進するべきであるし、放射線の被害についても科学的に分析することを止めるべきではないのだ。原発のリスクが無くなったわけでもなく、福島原発事故現場から放射線が出ていないわけでもない。汚染水の処理も必要だ。なにも解決には至っていない現時点で原発の問題点を指摘したり、放射線について慎重になるようなことを言うとまるで変な人扱いにさえなってしまう現状の最大の原因は科学的ではないとんでもない主張で原発を批判する脱原発派たちだ。
漫画家・雁屋哲が今後、原発についてなにか本当のことを主張したとしても一体誰が聞く耳を持つだろうか?せいぜい同じ穴のムジナたちしか耳を貸さないことだろう。山本太郎を信用していると言ったら世間的にはどうだろうか?都内には少なからず山本太郎に投票した有権者たちがいるはずなのだが今そのことを大っぴらに言えるだろうか?原発事故が起きたのだから本来は脱原発派たちは支持されるべきであるというのに、余りにも脱原発派だと大声で言う者たちの言動が科学とは無縁の無責任なものである為にもはや脱原発という思想自体が胡散臭く見えてきてしまう始末だ。脱原発は日本が避けて通ることのできない大命題だ。それを原発事故前にはまったく原発に無関心だった者たちが科学的ではない主張をして脱原発の足を引っ張っている。
福島原発事故の現場周辺がまったく安全地帯となっているわけではないのだ。むしろ防護服を着なければ死が待ち受ける世界だ。原発は今更ながらにメルトダウンしていたことが分かっている。メルトダウンを起こしたほどの事故なのだ。放射線被害がまったくないわけでもなく、ましてや当時の愚かな政府は「直ちに危険ではない」という言葉を多用して周辺住民たちの避難を遅らせた。ガンでは即死はないものの、危険であることには変わりはないのだから、当時の政府の責任は重大だ。
今とても心配していることは脱原発への足引っ張りもあるが、新陳代謝が活発な子供たちだ。今のところ甲状腺異常についても問題のある数値ではないと発表されているがベラルーシなどの例を見るとまだ安心できない。ベラルーシでは甲状腺異常を持つ子供の数は5年目からグンと上がった。今回の「美味しんぼ」の影響で少なくとも鼻血は苦笑や失笑の対象となってしまった感がある。子供たちが本当に体調の異常を訴えたときにそれを周囲の大人がちゃんと真剣に受け取れるのか否かで子供たちの将来が変わって来る。大袈裟な対応であったり、心配し過ぎと言われようとも原発事故当時に福島原発周辺にいた人々、特に成長期だった子供たちは原発事故前では必要以上とされたくらい頻繁な定期健診を行うべきだ。「鼻血=被曝」という極端な発想はさて置いても、体調が優れないことを原発事故のせいにすると変なやつ扱いされるといった風潮は作るべきではない。それが杞憂に終わればめでたしめでたしなのだから、被曝の影響を念頭に置いての健康管理、特に成長期の子供たちは心配し過ぎるということはない。検査をしてなにも無くてもそれは良いことなのだから。
今、ひたすら原発を叩いては自己満足に走ろうとする著名人たちのことは脱原発を望んでいる人々の中でも極一部の愚か者だというイメージを浸透させることが肝心だ。実際その通りになっているのだとは思うのだが、いかんせん、余りにも科学的ではない酷い決めつけを一部の脱原発派が行い、しかも彼等が妙に目立つものだから脱原発ということ自体、そして放射線の健康被害を心配することそのものがおかしなことのように扱われることを心配している。原発に反対しても良いのだ。健康被害を恐れることも仕方がないことだ。相手は放射線なのだ。心配してし過ぎるなんてことはない相手だ。そういう本来は心配するべきことが変わり者の主張のような扱いになることだけはなんとしても食い止めたい。
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