忘れてた。
もっと正確に言うと思い出すときもあるんだけれど、しばらくすると忘れてしまう。そんな感じ。
現在、現職の環境大臣である石原伸晃議員のこと。
除染廃棄物などを保管する中間貯蔵施設の建設候補地について「最後は金目でしょ」と本音を漏らしてしまった件。発言自体も酷いものだし、環境相がそういうことを念頭に置いて中間貯蔵施設設置の候補地を探しているということも大問題。こういうデリケートな問題を扱うにはこの石原環境相はいささか地頭が悪過ぎる感がある。
自民党総裁選でその能天気な発言の数々で一気にイメージダウンした感がある議員だ。いきなり頭が悪くなったわけではなく、今まであまり同議員の詳細に渡る言動を誰も注目してしなかっただけのことだ。喋れば喋るほど底が透けて見えてしまうタイプだ。それでも多少なりとも年功序列制度が残る与党・自民党に於いてはもはやこの議員は幹部なのだ。嗚呼・・・。
何度も今回の「金目発言」について触れようとは思っていたのだ。それでも発言者の存在感というべきか、その発する政治家オーラとでも言うべきか、そういうものが一切感じられないので、この議員がなにかを発しても日本を揺るがすことにはならないという確信がある。むしろ今日本の世界的な評判を考えれば例の都議会での「産めないのか!」の方が遥かに深刻だ。本来は環境相が「最後は金目でしょ」、すなわち「結局最後はいくら貰えるのか?なんでしょ?」とオブラート一切なしで発言してしまったことは今後の原発政策をも揺るがす大問題発言ではあるのだが、当ブログとしては正直な感想が「ああ、石原環境相ね。じゃあ、いいや。」といういわゆる「馬鹿につけるクスリはない」という諦めの方が先に来てしまって怒る気もしなかった。こんなことを断言するのもなんだが、どうせこの石原伸晃なる議員は何度でもやらかすのだ。反省したところで改善するようなこともないのだろう。反省にもアタマは使うのだから。
さて今回の「金目でしょ」は問題発言ではあるが、金の話を一切封殺して中間処理施設を語るのも間違っている。誰かがリスクを負うときにその対価が金であって悪いというわけではない。むしろ現代ではリスクへの対価が金であることが最もリスクを負う側に報いる手段だとも言える。気持ちだけあげても相手は助からない。リスクを負わせる側、つまりこの場合は国民全員ということになるわけだが、そういうリスクを誰かに負わせる側がお金を負担することは当然のことだ。そしてリスクを負った側もそれまでの支援はどういう事情で行われていたのか、そして行われるのかを正確に理解する必要がある。福島原発事故のときに全員とは言わないが被災者たちの中にはまるで原発のリスクを承知していなかったかのように振る舞い、それまでに地域が受けていた恩恵を全て無視するかのように振る舞い、「支援されて当然」のような態度であったことは当ブログの管理人は忘れてはいない。本当になにも無い田舎の町の公共施設が財政豊かな行政区を上回るような充実ぶりになるわけがないのだ。リスクを負わせる側、恩恵を受けてリスクを負う側、両者の正確な状況(環境)分析と自覚は絶対に必要だ。「金目でしょ」は下品な表現ではあるが、だからといって金の話は曖昧にするべきことではない。中間処理施設になんのリスクがないわけでもないのだ。ただ場所を提供する都市部から遠方にある町に一気にお金が流れ込む、そんな状況には必ず理由があるということだ。
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