日本人は「ちょっと」という表現を多用する。それを思って当ブログはちょっとしたユーモアを込めて「時代をちょっとだけ斬る!」というタイトルにした。開設当初からずっと同じブログ名だ。本当は「ちょっと」というつもりが無くてかなり大きめに斬るつもりでも日本人的に「ちょっと」としてみた。英語で言うと「a little bit」ということになり、「ちょっとしか斬らない」という「ちょっとしか斬らないけれど結局斬るのね」という表現が英語でも“ちょっと”面白いかなと思ったという理由もある。開設当時から米国への移住もアタマの片隅にあり、もう日本では自分の意見や倫理観が通じないなと感じたら、仕事の拠点もあり生活レベルや老後の生き方などで魅力を感じているアメリカで暮らすという選択は自分にとってはかなり現実的なものであり、もしアメリカに移住したら英語でブログをやろうと考えていたという理由もある。幸いにして日本はいつも愛すべき母国であり移住を決断するほど日本に失望したことがない。政治家の言動にウンザリすることは多々あるが日本自体を嫌いになったことが無い。
話は"ちょっと"逸れたが、この「ちょっと」が実は巨大なことが日本では本当に頻繁にある。自分が言う場合も言われる場合もあるし、他者の言動でも「ちょっと」は頻出ワードでトップクラスだろう。もの凄く大変なお願いでも「ちょっと」を付けて「ちょっとお願い」なんて日本では毎日何万回も言われているのではないだろうか?これは頼まれた側のスキルにも依存する。頼んだ方にとっては到底無理なことでも、頼まれた側にとってはまさに「お安い御用」のときがある。しかしながら、そこはあくまでも「お安い御用」として処理できる頼まれた側の今までの蓄積というものがあり、その今に至るまでの努力やたゆまぬスキルアップを目指す志には敬意を表するべきだ。
有名なアーティストたちが地元へ楽曲を無償で提供するといった話は珍しくはない。校歌や街のイメージソングの作詞・作曲を無償で行い、それらの楽曲提供を受けた人々は本当にその歌を大切にしている。ある街では道行く人にその歌詞を伺っても誰もが暗唱できるほどで感動したことがある。その楽曲を提供した人がたまたま友人だったので以前からその町のことが印象に残っていて、初めてその町を訪れたときにあまりにも歌詞と合っていたのでそれはもう心が動かされてついついいろんな人々に歌詞のことを訊いて回ってしまった。その歌を提供した友人は「ちょっと作ってみた」と言っていた。ちょっとどころの話ではない町に特大のプレゼントだ。それでも作った当人いわく「ちょっと」なのだ。
友人の心臓外科医は「ちょっとシュミレーションする」と言って自分の世界に入り数時間帰って来ない。一応、女だ。その異性である心外女(しんげおんな)は、ミジンコが結婚前の一人暮らしの時に部屋に来てはオペのシュミレーションをしていた。別に交際していたわけではない。彼女いわく、自宅だとシュミレーションの途中で彼氏に邪魔されるので、面倒臭そうなことには関与しない・邪魔しないで有名(?)だったミジンコの部屋が空中をずっと手探りする奇妙な動作をするには最適な空間だと主張していた。こっちの迷惑関係無しな理屈過ぎてポカーンとしてしまった。その彼女のいう「ちょっとオペしてくる」は大抵は執刀医が半日は立ちっぱなしの大手術。ちょっとどころではなく、その技術は勿論のこと、執刀医になるまでとなってからの実績が類い稀と言って過言ではない。そのシュミレーションは今でも行うらしい。難しい手順のところのシュミレーションを4回やると合計10時間なんてこともあるらしいが休みの日にそれに費やすこともあるとか。「ちょっと大変」と本人は言う。
「ちょっとやってもらっちゃった」なんて言葉は本当に良く聞く。それが本当に「ちょっと」なのか否か、自分もそういうことを安易に人に頼んでいやしないかと不安にもなり身が引き締まる瞬間だ。実は世の中には「ちょっと」で済むことなんてそうはない。それでも「ちょっと」は良く使ってしまう。余りにも使いやすくて無意識にどんな時にも「ちょっと」を多用してしまう。そういえば合計4万マイルの長旅のときでも「ちょっと行ってくる」と言って出かけてしまった。余りにも頻繁に出張があるので地球のどこに行こうが「ちょっと」の場所になってしまった。ちょっとは本当はちょっとではないのかもしれない。
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