ニューヨークでは例のエボラ出血熱に感染した医師への批判の声がそれこそ何百万といった単位で上がっている。個人的には敵というわけではないが普段の言動に呆れることが多い「国境なき医師団」の実態の一部が明るみになったことだけは唯一の救いだ。勿論、崇高な信念を持ち、どんな場所であろうとどのような患者であろうとも救おうとする医療団体には敬意を表したいが、そういう医療関係者ばかりではないことを散々っぱら現地(アフリカなど)で見ており、また同団体の非武装主義ならびに武装している組織への批判などについても呆れ果てている次第。
誰かが武装してその場所の一瞬とはいえ安全を確保しているというのに、自分たちの安全が信念だけで確保されているかのように吹聴する医療従事者は残念ながら少なからず存在する。なんだか9条信者の論理とそっくりで苦笑するときがある。襲って来る連中からしてみれば非武装のキャンプなんてカモだ。現地の医療関係者の傲慢な態度に触れて「誰が武装したくてやっとるか!」とブチ切れそうになったことが幾度かある。現地の安全を命がけで確保する軍人たちも民間軍事会社の警備員たちも望んで人殺しをしたいわけではない。撃たないで済むのならば誰が人を撃ちたいというのか?無抵抗でも皆殺しにされてしまう状況だってあるのだ。慈善事業だからとか医療ボランティアだからといって殺されないなんて保障はどこにもない地域は確実にこの世界にある。
さて話は戻ってニューヨークの例の医師、エボラ出血熱の患者の治療にあたったとは思えないほど無責任な行動がニューヨーカーだけではなく全米で批判されている。医療従事者がエボラウィルスのすぐそばにいたほんの数日後には大都市マンハッタンのそこらじゅうを歩き、ボーリングなど友人との接触も多数なのだ。ミジンコがよく行く数年前にできたマンハッタン内にあるお散歩コースも歩いたそうでそこを同日歩いた人々は戦々恐々としている。潜伏期間中は感染しないとはいえ、その医師の微熱がいつ頃から発生していたのかも注目されている。なんでもだるさを感じつつもジョギングまでしたそうで、この医師の無責任さには同じ医療従事者たちからも批判が殺到している。
海外の危険地域から自分の地元など安全な場所に帰って来ると気分は高揚するものだ。ミジンコもそういう経験に慣れたとはいえ、「ああ、生きて帰ってきた!」とちょっとは浮かれる。この医師の場合は自分に酔っていたことは否めないだろう。はっきり言ってしまえば浮かれ過ぎだ。短期間、地獄のような医療最前線を経験して、まったく自分の感染を疑わないで帰国。帰国後も自由奔放に動きまわり今やニューヨークはエボラの恐怖に晒されている。ほんの少しのこの医師の思慮が足りていれば、自分のだるいと感じた症状を疑い自ら空港のメディカル・チェックを受けて自分から隔離を望んだはずだ。なにしろエボラの治療に携わった後なのだ。疑うべきことはあった。
今、ニュース速報にすらなっているジャーナリスト(日系カナダ人)のケースはエボラなのかどうかは判明していない。この時期にリベリアに取材に行き、10日ほどベルギーに滞在後に、また他の乗客も乗っている旅客機で移動するという無神経さに驚いた。行った場所はあのリベリアなのだ。まるで日本にエボラウィルスを持っていきたいかのような行動日程だ。これも報道の自由というやつだろうか?いったいどういうつもりでこの時期にリベリアに取材に行き、そのまま長期滞在するわけでもなくすぐに日本にやって来たのか?全ての行動が法律に違反していないからといって、それがまともな行動だろうか?行動原則に社会の一員としての著しい欠格が生じていると言わざるを得ない。要は自分が責任を取れず収拾もつけられないほど深刻な事態を招くようなことはするなということだ。ジャーナリズム云々なんてことを言う以前に守るべき社会というものがあるはずだ。
この40代のジャーナリストはエボラでは無かったとしても安心はできない。第2第3のこんな感じのリベリアからの入国者(帰国者)が出ないとは限らない。ニューヨークの医師が与えた影響ほどの深刻さはこのジャーナリストのケースでは無いようだが、第2第3のもっととんでもないモンスター行動をする者が恐るべき存在となることだろう。自分がエボラウィルスを持ち込んで他の誰かが命を落としたり、酷い後遺症に苦しむようなことになることを先ずは想像する必要のある者たちがいるということだ。今回のジャーナリストも想像力に欠けていたということだ。前述のニューヨークの医師しかり、このジャーナリストしかり、自分たちの職務のみを見つめるのみの盲目的で無責任な行動が(大袈裟ではあるが)社会を滅ぼすことになるかもしれないのだから、先ずは自分たちの仕事以前に社会の一員としての責任を勉強しなおすべきだろう。
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