自民党の細田幹事長が24日、記者団のインタビューで不適切な発言を撤回した。
インタビューの中で、細田幹事長は「麻生総理が字が読めないらしいと言って楽しんでいる。ぶれたらしいと言って。それはそんなに大したことない。役員人事だろうが閣僚人事だろうがどうでもよいこと。だけど、そのことの方が、みんな面白いんだ」と発言した。
さらに、「日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」と述べた。
その後、細田幹事長は「誤解を呼ぶ発言があった。真意ではない」と撤回したが、今後、この発言は波紋を呼ぶとみられる。
ソース元:
FNN
約1億3,000万人もいる日本人を一括りにして語るのはナンセンスだとは思うけれど、正直いってこの数年ずっと「日本人でいるべきか、米国に本格的に移住するか」を悩んでいる身としては、今回のこの細田発言、撤回などはしないでトコトン議論して欲しかった。なんでこうすぐに撤回するかなぁ・・・。
そう思っているのならば、その主張を貫き通して自分が考える「程度の低くない日本」を作ることに邁進するべきだ。
本気で知りたい。日本人はこの細田発言をどのように捉えているのか?
いちいち「細田、なに言ってんだ、コノヤロウ!」と怒るのみではなにも改善されない。今本当に深刻な不況にほとんどの国民があえいでいるのにも関わらず、更に年金すらも破綻する可能性アリ。つまり現在も未来も暗い。痛みに耐えて頑張ればなんとかなるわけでもないらしい。そもそも国民に痛みに耐えれば、将来的にはなにか良いことがあるということをほのめかした元首相は、なにか明るい未来を予感させるようなことはなにもせず、米国大統領家族の前で酔っ払ってエルビス☆タコ踊り。更に追い打ちかのごとく、妙な経歴の次男に地盤を譲って日本の政治に負の遺産を残した。
国の行く末を担う政治家を語るときに、まるで芸能ニュースのようなネタばかりが視聴率だとか発行部数上昇につながるってのは「程度が低い」かどうかは言い切れないものの「呑気だな」とミジンコはず~~~っと感じている。
マスコミは鬼の首を獲ったかのごとく今後延々と細田幹事長を叩くだろうが、「日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」という発言は、テレビなどのメディアに簡単に踊らされる国民と、そんな単純な国民を操作できているかのごとき振る舞いのマスコミへの皮肉だった気がする。
細田発言は暴言だったとしても、今この瞬間にも「日本人の多くが簡単にマスコミの情報操作に乗ってしまう」ことはもっと広く議論されるべきだ。
日本人は程度が低いなんてことは決してない。ただお人好しが多いとは思う。こう言ってはなんだけれど、常に疑って検証して、石橋を叩いて壊すミジンコが日本ではやけに目立つ。主張は主張として曲げない、批判もする、そんなことをすると日本では目立つのは流石に解ってはいる・・・が止められない。
要は自分は典型的な日本人ではないということなのだろう。そして、そこの目立たないアナタは馬鹿がつくほどのお人好しかもしれない。
以前は自分のブログで「ミジンコの言うことすら簡単に信じるべきではない」と述べたりもしたのだが、今もその気持ちは同じ。
むしろ、このブログを通じて、ミジンコさえも疑うような日本人が増えていくことが本望。
そうなれば、厳しい視聴者・読者たちの監視下で、日本のマスコミは中立性を初めて学ぶかもしれないし、営利を追求する宗教法人なんてものも存在できなくなることだろう。
今回の細田発言が暴言だったとしても、なぜに日本の官房長官がここまでのしょーもない愚痴をマスコミの前で吐露してしまったのか?こんなことで日本は大丈夫なのか?そんなことを広く議論する日本人が増えることを心から願っている。
言うまでもないが、程度が低い国がGDP世界第2位なわけもなく、当たり前の結論を言ってしまえば、日本人は(優れているというと国粋主義者みたいで嫌な響きなので言わない、だからこう表現→)頑張っている。これは絶対にそう。
じゃあ、なんで頑張って頑張って頑張り続けている日本人の平均的な生活が“結構しんどい”のは、もっと熱く議論しても良いはずだ。
テレビでも雑誌でも“先ずは悲観論ありき”で、延々と政治家のダメなところを挙げるのみ。それを鵜呑みにする日本人が結構な数に及ぶのも選挙結果を見れば確かにそうなので、そういう部分が細田発言を招いたと見ている。
200人以上も生徒がいる学年で成績2位の生徒に対して教頭先生が「君は程度が低い。」って言ったら、その教頭はPTAから火あぶりの刑にされることだろう。
ただなんでまたそんな不適切極まりない言葉が出たのか?そこは検証するべきだ。議論もされないまま、クビになった教頭先生が狂っていたで終わらせてしまうのは危険。
日本じゃそれを日本の中枢でやっちゃうんだから、その点では本当に程度が・・・ゲフンゲフン・・・。
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