日本では高校無償化だとか子ども手当てだとか、本来は他者の支援をアテにすべきことじゃないことの支援をアテにして子育てをしている人々が以前よりもずっと顕在化してきている。う~ん、教育ってなんだろう?子育てってなんだろう?とミジンコは既に答えが出ているはずのことを考えてしまう、そんな日本での日々。
本来はもっと議論されても良いはずの国の行末を決めるような政策ですら国内ではそれほど議論もされていないように感じる。恐らく日本では余計なことを言わない方が吉という雰囲気があることが大きいのだろう。以前は日本らしいその風潮を別に悪いとも思っていなかったが、今は考えが変わった。正直言って今の日本のダメさ加減に打ちのめされているからだ。何度も述べているが総選挙後、民主党政権に移行してからの日本は日本衰退のトリガーを引いた感がある。このブログで言っても今更な感はあるが、日本がこうなることが見えていたのに、世間では見えていなかった人々が思ったよりも多かった。重要なテーマがあるとき、そのテーマを面倒臭がらずに議論することの重要性を切実に感じる。「どうせ自分は馬鹿だから・・・」とか言い訳したり、「時間が勿体ない」と嘘をついたりしないで議論するべきときは議論する、そんな日本人が多ければ多いほど、日本はもう2度と昨年の総選挙のような過ちを犯さないことだろう。議論することをウザいとか面倒臭いと言う人間ほど自分で自分のクビを絞めている。知らない間に犠牲者になっていたり、自分が被害者になっても誰が加害者かも理解できないほど状況を把握できていないからだ。
もう議論しない日本人にウンザリだ。・・・・・と思ってた矢先にNHKが全米で大人気の授業を放送し始めた。
NHK ハーバード白熱教室(毎週日曜日 NHK教育 18:00から放送)
既に放送されたテーマは以下の通り。
Lecture1 犠牲になる命を選べるか あなたは時速100kmのスピードで走っている車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですむ。あなたならどうしますか?サンデル教授は、架空のシナリオをもとにしたこの質問で授業を始める。大半の学生は5人を救うために1人を殺すことを選ぶ。しかし、サンデル教授はさらに同様の難問を繰り出し、学生が自らの解答を弁護していくうちに、私たちの道徳的な根拠は、多くの場合矛盾しており、そして、何が正しくて、何が間違っているのかという問題は必ずしもはっきりと白黒つけられるものではないことを明らかにしていく。
Lecture2 サバイバルのための殺人 サンデル教授は、19世紀の有名な訴訟事件「ヨットのミニョネット号の遭難事件」から授業を始める。それは、19日間、海上を遭難の後、船長が、乗客が生き残ることができるように、一番弱い給仕の少年を殺害し、その人肉を食べて生存した事件だった。君たちが陪審員だと想像して欲しい。彼らがしたことは道徳的に許容できると考えるだろうか?この事例を元に、哲学者、ジェレミー・ベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」についての議論を戦わせていく。
答えは人それぞれというものばかり。考えに考え抜いて議論を交わすことに重きを置いている授業なのだ。テーマに対して確実な正解などはない。
講師であるサンデル教授は、道徳的な根拠がいかに曖昧なものであるかとディスカンションを通じて教えてくれる。
考えるのが面倒くせぇという国民が増えたとき、その国は滅ぶのだろう。日本人の多くが今厳しい生活の中、政治家の国民をおちょくった言動に日々さらされている。そして増税、増税、増税。
もっと日本人は議論して自分の立場を主張して良いはずなのだ。先日受付が開始された外国にいる子供に対しての外国人への子ども手当て申請受理など、暴動が起きても不思議ではないほどの政府の暴挙だとミジンコは考えている。考え、そして議論することは確かにエネルギーを使う。疲れることは疲れる。それでも自己の尊厳を保つためにも議論して生きることは悪い生き方ではない。
日本人はもっと怒って良いし、主張して良いはずなのだ。その自分の主義主張を遠慮なく言うということを学ぶ上でも「ハーバード白熱教室」は参考になる。「答えが出ないことだから議論しない」ではなく、「答えが出ないことだからこそ議論する」、それが人間ってものだと思う。
[28回]
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