江田五月法相は14日夜の記者会見で、死刑執行について「死刑というのはいろんな欠陥を抱えた刑罰だ。国民世論や世界の大きな流れも考え、政治家として判断すべきものだ」と述べ、世論の動向などを踏まえて慎重に判断する考えを示した。
江田氏は
「もともと人間はいつかは命を失う存在だ。そう(執行を)急ぐことはないじゃないかという気はする」とも指摘。ただ、制度の存廃に関しては「勉強したい」と述べるにとどめた。
ソース元:
Yahoo!ニュース 時事通信
江田五月のこの発言を何度も繰り返して読んでみた。なにか含みのある表現なのか、隠されたメッセージがあるのではないかと何度も確認したかったから。
結局のところ、江田五月は、“死刑囚はどうせいつか病気か寿命で死ぬんだから死刑執行をする必要がない”と言っているとしか解釈できなかった。
もうこの江田発言、余りに酷い発想なので批判する気力も失せるのだが、あの千葉景子、アホの柳田、その後の仙谷ときて次の法務大臣もこんなショーモナイ人選となったかと思うと日本の将来が本当に危ういと感じるので記事に残してはおきたい。いやはや本当に脱力はしており怒る気力も失せるといった状態なのだがそれでもこのブログとしては書かないわけにもいかない。日本に住み続ける強い理由を求めての度々の日本~海外の往復なのだが、こんなニュースばかりの日本なので帰って来ないで日本からの情報をシャットアウトしてしまおうかと思うほど。その方が精神衛生上は正しい選択だとはわかっちゃいる。
まだ余命がある人間の命を絶つからこそ「死刑」という刑罰が成り立つ。死刑囚に対して自然死を待っているのならばこの世の全ての人が死刑宣告を受けているようなもの。この基本中の基本を江田五月は無視している。無視しているのか見ないようにしているのかは定かではないが、江田五月は死刑囚に殺された犠牲者たちの報復は死刑囚が自然死したときに達成されると言っているわけだ。
馬鹿か、コノヤロウ!
法治国家である日本で応報制度を認めていない以上、国家が死刑囚に死刑を下さない限りは、国と国民の間の契約違反だ。国民は国のために勤労の義務を果たして納税しているのに、国が死刑囚をそのまま一生税金で養う?そんなことを受け入れられるか!江田五月、本気でそんなことを言ったのか!?
仇打ち制度が禁止となったのは復讐の連鎖を助長するからだろうに。その代わりに国が犯罪者に刑罰を与えることにより、“そこで終わりとする”ということだとミジンコは解釈している。
例えば父親が殺された娘が父を殺した男を殺しても無罪だったとしても、その殺された男にも娘がいた場合は、今度はその父の仇打ちを果たした娘が殺されて当然ということになってしまう。復讐の連鎖を生まないためにも国が死刑制度を維持することが必要なのだとミジンコは考える。
そもそも江田五月が法務大臣に就任直後の記者の取材VTRではイヤイヤながらも受けていた感がある。「おめでとうではない」と本人も言っていたはずだ。こういう人材、しかもバイタリティーのカケラも感じない人物を閣僚に据えることはないのではないだろうか?そこまで民主党は人材がいないのか?・・・・・いないんだろうなぁ・・・はぁ・・・・・。
民主党政権はどうせ崩壊するんだからと、そんな無くなる政権が支配する国に対して納税もしない法律も守らない国民はどうなるのだろう?まぁ、勿論、税金も取られるし犯罪を犯せば逮捕される。江田五月の「どうせ〇〇〇なのだから理論」は社会の根幹を揺るがす危険は発想だ。民主党自体がそういう政党なのだから、らしいといえばらしいのだが、どうせ死ぬのだから死刑囚に刑罰を与えないなんて発想を日本の法務大臣が言い放ったなんて世界の痛いニュースの殿堂入り級だ。ああ、恥ずかしい!
[23回]
PR