ネットだけではなく、実際の生活でもブログで「原発事故」について余り触れないことを不思議に思われている節がある。そりゃ気持ちは本当に解る。自分でも震災前のときの方が原発に噛みついていたような気がする。そりゃもう原発推進派の卑怯なやり方に長年憤っており、言いたいことなんてエベレストほどある。そんなミジンコがあまり原発事故と放射線の影響についてほとんど触れないことに違和感を感じている人たちがいるのは当たり前だと思う。
事故について余り触れていない理由は、3月中旬までと今とは大きく異なる。つまり理由が変化したのだ。
当初は、先ずは事故への対応が最優先であることは間違いないので事故そのものについて騒いだところで、不安を煽るだけだと考えたから。少ないとは言えない訪問者がおられるブログで、その運営者たるブロガーが右往左往していては、それを見た人を煽ってしまうだけだと考えた。深刻な事故であり状況の改善を感じなかったものの、何百万人もの一斉避難が現実的ではない状況で不安だけ煽って対応策なしの記事が良いことなのか悪いことなのか・・・・と考えている内に時間が経過したというのが本当のところ。
そして後半の理由は、実はもっと悪い理由なのだ。今起きていることの深刻さを理解すればするほど、記事にしようとしようにもできないというのが本音。決して原発事故を楽観視しているわけではないということはどうか誤解しないでいただきたい。むしろ海水に汚染された水を流出させていること、あの東電の酷い記者会見や全然顔を見せないままの社長の入院・辞任、更に東電関係者、元社員などの釣りかと思うほど、皆の神経を逆撫でする酷いブログなどへの投稿の数々など、不安になるような要素ばかりだ。そんな企業が本当にこの原発事故を処理できるのか?という思いは日々強くなるばかりだ。
本当に事態が悪過ぎて書けないのだ。日本の農業、漁業への影響、放射線被害が今後数十年、いや百年後の世界でどのような悪影響を及ぼすのか想像するだけで憂鬱になり、事故についてのブログ記事UPを躊躇している日々。東電の処理のずさんさはまるで原発テロのようなのだ。今でこそ世界はまだ震災で打ちのめされた日本に同情的だが、今後は福島原発事故の放射線被害で日本は四面楚歌になるかもしれないのだ。どっかの馬鹿みたいに自分は原発から離れた離島に行って「ここなら安全だもんね~♪宣言」でもできる性格ならば苦労はしないのだろうが、ミジンコの今後の人生は世界への感謝とお詫び行脚となることを半ば確信しており、その責任の重さを考えるとさすがに明るく元気にってまでにはいけない。
そういうわけで散々「原発は安全だ」とのたまっていた連中にも東電や政府の原発事故処理についてはそりゃもう怒り心頭だけれど、だからといってそんなドアホウたちへの批判よりも自分への重責を考えることに重きを置きたい気分。
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