東京都庁など高層ビル街のはざまにある新宿中央公園。二十九日午後七時すぎ、市民団体「新宿連絡会」の炊き出しが始まると、白い息を吐きながら、ホームレスの人たちが列をつくった。
「仕事はしたい。でもどうすれば良いか分からない」。キムチチゲの「ぶっかけ飯」を受け取った徳島県鳴門市出身の男性(34)は話した。
今夏、正社員で勤めていた東京都内の建設会社が倒産。九月ごろから新宿で路上生活を始め、初めての年末を迎えた。「仕事さえ見つかれば元の生活に戻れると思ったが、それが見つからない。アスファルトに座っていると、腰から下の感覚がなくなるくらい冷えるなんてこの年で初めて知った。何でこんな生活しているんだろう」
炊き出しに並んだのは二百五十人ほど。たき火を囲んだり車座になったりして、ほおばっていた。
厚生労働省は、今年の年末年始に困窮者を支援しない理由を「通年で対策をとっており、住居喪失離職者も減っているため」と説明。しかし、今月の「つながる総合相談ネットワーク東京」の相談会には、前年比約二十件増の約二百八十件の声が寄せられた。
事務局の後閑(ごかん)一博さんは「ホームレス状態の人は減っていない。最近仕事を失った人も多い」と話す。
同ネットワークは三十~三十一日と来月二~三日、都内の公園などで軽食の配布や相談を行う。三十日と二日は午前十一時から午後五時まで、0120(843)530で問い合わせを受ける。
ソース元:
東京新聞
ホームレスは増加している。それでも「役目は終えた」とのことで今年は年越し派遣村は無し。派遣村を主催した湯浅誠は今もって政府の参与のはずなのだが・・・・・。
そりゃ民主党政権としては民主党が政権を得てから2年以上も経った後でも年越し派遣村をやられてしまっては困るのだろう。元々は民主党政権以前の政府の無策の結果としての派遣切り、そしてホームレスの増加を叩く格好のネタとして派遣村は開催されたようなものだ。「ほら、こんなに派遣切りが行われているんですよ~」「ほら、こんなに家も仕事もない人たちが増えているんですよ~」とアピールしていたものの、民主党政権後の今、状況はもっと悪化しているのだ。派遣村に数千人が殺到なんてニュースが流れてしまっては民主党政権はたまらない。
このブログが移転したのは2009年の1月1日。移転直後に年越し派遣村のことを何度か触れたので最初の派遣村のことはよく覚えている。当時から派遣村はどう見ても当時の政府批判のために民主党、社民党、共産党、そして市民団体などのなんらかの政治思想を携えた活動家たちに利用されていたに過ぎない。
↓これらが当時のこのブログの記事。こんな派遣村の現実があったのにも関わらず、民主党などの野党もマスコミも派遣村を当時の政治が生んだ悲劇のように盛り立てて、そして今はもう派遣村はやらない。
「声届いた」「月曜以降は…」=喜びと不安-講堂開放の「派遣村」・厚労省(2009/1/3の当ブログの記事)
坂本総務政務官が“派遣村発言”を撤回・謝罪(2009/1/6の当ブログの記事)
派遣村が解散式=支援拡大、「役割果たした」-東京(2009/6/29の当ブログの記事)
怠けている連中に税金払う気なし 厚労相、『派遣村』で言及(2009/8/19の当ブログの記事)←あの解散総選挙目前。
結局あの派遣村とはなんだったのか?
現状を見るに派遣村の主催者側は「派遣」という言葉を使用したものの派遣切りを減らすことが目的だったとは到底思えない。民主党政権後の派遣村は、既に政権を嘘のマニフェストで奪取した民主党にとっては景気が改善どころか悪化していることの証明となってしまう邪魔な存在でしか無かったということなのだろう。
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