刺青のことをタトゥーと呼んでなにかしらの罪悪感があるのか、いちいち刺青を入れたことの理由を大声で叫ぶ痛い大人たちが増えている。刺青を入れることに対してなんでそこまで理由を言いたがるのか理解に苦しむが、なんでかそういう人たちに限って、まるで社会で迫害を受けているかのように喚く。で、先に言っておくと、ミジンコは誰が刺青を入れようが知ったこっちゃない。ただし、刺青を体に彫った者がなんとか自己を肯定したいのか「刺青は悪くないんだキャンペーン」をやることにはいささか呆れ気味。そういう人間がよく使う嘘がどうにも気にかかる。この嘘のタチが悪いところは嘘を発している本人もその嘘を信じ込んでしまっているようで嘘だとは思っていないであろうこと。でもミジンコからしてみればどー見ても嘘。
以下の動画は今回の記事とは直接関係がないけれど、この動画を見たことにより今回の記事を書こうと思ったキッカケという意味で埋め込んでおく。本当にこの動画にあるような議論がこの数年で増加していると思う。刺青の是非云々を語ることについてはミジンコは前述のように「知ったこっちゃない」という姿勢。もっと具体的に言えば、刺青というものをこの刺青が受け入れられているとは言い難い日本に於いて、自分から進んで刺青を入れるような思慮の浅い人間たちのことなんか議論するだけバカバカしいということ。馬鹿がわざわざ自分の体に消えない柄やマークを刻印するんだからある意味リトマス試験紙的な役割として刺青は便利かもしれない。
現にミジンコの生活の一部と化しているスポーツクラブでは刺青のある人は入会できないし、公衆のプールや海水浴場でも刺青の来場者は拒否されるケースが多々ある。そういう社会的な背景があるのにも関わらず、刺青が体のどこかにある人々は敢えて刺青を入れると決断したのだろうから、こちらとしては「なるほど、ここまで浅はかな人なのか!」と判断し易くて助かる。あとまぁ、これは個人的な感想でしかないが、刺青ってのは少なからず「相手を威圧する目的」があると考える。これはその人が認めようと認めなかろうと事実。刺青はそういう人を脅す効果を発揮する。なんだか原始的なやり方だなぁと笑える。本当に強い人間は相手を脅さない。
小森純なるタレントがなんで泣いたのか意味不明だが、江角マキ子の言っていることのほうがよほど子を持つ親として真っ当な考え方だろう。小森純は、「辛い出来事を忘れたい、強くなりたい」ということで自分を励ますため、弱い自分に負けないためにタトゥーに頼ってしまったとのこと。刺青を見るたびに「辛い出来事」を思い出すんじゃないだろうか?ミジンコは今もって「薄皮饅頭」をスーパーマーケットで見ると胸がウッ!となる。祖母が逝ってしまった直前にひとつしかあげることができないまま危篤になってしまったから。そういうトラウマみたいなものは誰しもあると思うのだけれど、刺青でそのトラウマを毎日毎日鏡を見ては思い出すのではしんどいだろうに。まぁ、今回は本題とそれるのでこういう暗号解読は避けたい。
で、やっと本題。
よく刺青は海外ではそれほど悪いことのように捉えられていないという嘘について。
はっきり言って、それがどこの国のことを指しているのか教えて欲しい。皆さん、ご存知のようにミジンコは半ば住んでいるような米国は勿論のこと、欧州、アフリカ、南米、東南アジアなどなど、そりゃもう沢山の国々を訪問している。どこの国でも刺青が「普通」とはなっていないはずだ。未開の地のナントカ部族とかのことは分からないけれど、電気や水道のインフラが整った国々のいわゆるホワイトカラーたちで積極的に刺青を推奨しているような国は知らない。G20などの首脳を見て欲しい。各国のあまり好きな言葉ではないがエリートと呼ばれる官僚やエグゼクティブであからさまに見える部位に刺青を入れている人ってほとんど見かけない。そういう人たちの多くはおそらく見えていない部分にも刺青は彫っていない。ちょっと高級な会員制の施設にあるプールなどを見ればよく分かる。それほど刺青をしている人たちを見かけない。刺青を入れていることは社会的に認められるためには大きな障害になるということを示している証左だ。
どこの国でも刺青はそれほど褒められたものじゃない。それなのにも関わらず、刺青肯定派の日本人はよく「海外では~~~」と主張する。アメリカなんてよくその例に使われているのだけれど、アメリカでも刺青が「普通」だなんてことはない。入れている人の割合が多いのは確かだが「普通」では決してない。未成年が刺青を入れたら親から大目玉を食らい、就職の際にも刺青が面接で「普通」と扱われることはない。まぁ、せいぜい、職場によっては刺青のことは問題視されない程度。刺青がなんの障害ともならないアメリカ社会なんてミジンコは見たことも聞いたこともない。それどこのアメリカだ?って「刺青はアメリカでは~~~」と言う日本人たちを見聞きするたびに思っている。正確に言えば刺青を入れる思慮の足りなさはアメリカ社会であろうともマイナスポイントなのだ。顧客と握手するときに手首から見える刺青がビジネスにどういう影響を与えるのか、そんなことが想像できない人間はアメリカ社会でも評価は低いということ。
まぁ、アメリカでも日本と同様にして刺青はリトマス試験紙と化しているのだ。アメリカの学生と接する機会が多いミジンコが実感することがある。難関大学の学生はほとんど刺青をしていないということ。カリフォルニア工科大学やスタンフォードの学生と暑い日に外のベンチで議論するときもあるが、そういうとき彼等はランニングシャツに短パン。肩甲骨のあたりや二の腕にはトカゲも稲妻マークも彼女・彼氏の名前も彫られていない。シールで済むことをわざわざ一生ものの傷として残しておくようなリスクは負わない。その判断が若くしてできているからこその高学歴なんだろうか?そうとしか思えないほどアメリカの高学歴な学生は刺青をしていない。まぁ、勉強に忙しくて、飯やシャワーを浴びる時間を惜しむ学生時代だろうから、刺青を彫っている時間なんて冗談じゃないってことなのかもしれない。
アメリカ人の刺青率の高さの一因は軍人が多いこともある。海兵隊員たちは進んで刺青を入れるケースが多いと聞いた。日本人と同じようにファッションだとかなにかしらの意味を体に刻むためという理由はあるだろうが別の意味もあると聞いた。
要は、自分が戦死したとき、つまり体の一部しか発見されないような死に方をしたときにも、なんとか自分の体の一部でも見つけて国の家族の元へ帰して欲しいという願いからだとか。確かに戦場では遺体の損傷も激しい場合もあるだろうから首から下げた認識票だけでは心もとないのだろう。そういえば背中や胸だけではなく両手足に刺青を彫っている部下(元軍人)が多い。「名前を彫ったほうがバラバラになったときに分かりやすい」と元地獄の軍団みたいな部隊にいた部下に言ったら「それだと敵地で拘束されたときに拷問される前に名前がすぐにバレちゃいますよ」とのこと。なるほど。
刺青は海外では当たり前なんていう嘘を信じちゃうような人ほど簡単に刺青を彫ってしまうのだろう。刺青を入れるのはその人の勝手だが、その行為を肯定するためにあーだこーだと喚く、ましてや泣くなんてことは見苦しい。
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