この話題に触れてネットにそのことを書いてキャッシュとして残すだけでもなんだか社会悪に加担してしまうような気がするんだけれど、驚いたことに来年も再来年も行われるらしいので「ニッポンの馬鹿化」を防ぐというこのブログの大命題を忘れないためにも一言くらいは述べねばならないようだ。
そう、例の総選挙ってやつ。衆議院議員の解散総選挙ではなくてAKB48の握手券の営業成績争いの方のこと。
総選挙という呼び方が適切ではない。投票する側がお金さえ積めば投票用紙がいくらでも買えるのだから選挙と呼ぶこと自体が民主主義を馬鹿にしている。
ミジンコは選挙制度改革に興味があって
「日本を良くする選挙」という記事を書いたことがある。いかなる選挙制度が民意に限りなく近いカタチで実現するのか、そこに興味がある。そういう意味では今の比例復活なんて制度は最低最悪の制度だと考えている。落選議員の復活なんて民主主義への冒涜だ。
今回取り上げているAKB48の総選挙、繰り返すが選挙と呼ぶことはおかしい。あれは選挙ではない。有権者が投票用紙を支払う額に応じていくらでも購入できる制度を選挙と呼ぶなんてことは許されないことだ。キャバクラの営業成績競争を選挙と呼ぶだろうか?太い客が一人いるだけでも営業成績1位になれる場合すらある。それは選挙で勝ったと言えるだろうか?否!営業成績が1位は多数の客からの支持という意味ではない。店側としてはキャバ嬢がいかに多くの客の支持を得ているかよりも、いかにお客にお金を落とさせているかが重要なのだ。当たり前だ。それが営業であるし、それが夜の店だ。AKB48の握手券購入システムとまったく同じことだ。
1000円しか使わないファンが100人いるメンバーよりも、100万円使うファンが一人いるメンバーの方がAKB48の運営サイドとしては優秀なメンバーということだ。そのマネージメント側の思惑を隠そうともしていないアイドルグループ運用システムが今のAKB48の総選挙と称した投票権販売制度だ。選挙ではない。投票権という商品をいかに売り上げたかの売上競争だ。
とても誉められた制度ではない。何度でも言うが選挙では絶対に無い!選挙という言葉で事の本質を煙にまこうとしている悪質な商法だ。
この選挙を語る強引なセールス、ミジンコには悪徳商法にしか見えない。ギリギリ合法かもしれないが限りなくモラルの低い売り子さんたちの販売競争をテレビやらスポーツ新聞やらはさも国民のほとんどが興味があるかのように報じている。本来、マスメディアが取るべき姿勢はああいった合法でも倫理の崩壊を助長するような行為を監視し追及することだ。マスメディアが一緒になってあの総選挙とやらを盛り上げようとしている。まるで共犯者だ。
まるで素晴らしい感動話のように、壺を買わされたと同じような人々、つまり自分を被害者だとも思っていない愚かな被害者たちが増加していくことがマスメディアの狙いだろうか?そんな日本にしてはならない!
あんな選挙と称した商法が莫大な利益を上げることはおかしい。おかしいことをおかしいと言う。議論の余地もないほど当たり前のことじゃないか。
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