生活保護の話題をこのブログで幾度となく取り上げている。その度に結構大きな反響がある。まず1番多いのは医療関係者からの裏話。裏話というと大袈裟だが、いかに生活保護受給者たちが病院でワガママ放題でモンスタークレーマーと化しているのかといった話。このブログからだけではなくて実際にもよく聞く話とほぼ同じような、「もはやそれは犯罪では?」といった生活保護受給者たちの傍若無人ぶりのエピソードは本当によく聞く。
なかなか口に出して生活保護を受けている真っ最中に「病気でもないのに病院でクスリを貰おうとするな!」「タバコを吸うな!」「(これもある方面からは総叩きに遭いそうだが)子供を作るな!」などなど、生活保護で支えられている最中にはその判断、言動がどうかしていることについては支える側としての憤りがある。
少数ではあるが生活保護受給者や医療補助を受けている人々からのメッセージもきている。その全てがこのブログへの反論ではなくて「現状の制度はおかしい」と需給側も考えている旨と「申し訳ない気持ちがある」という内容がほとんど全て。そういうメッセージをいただくとき、生活保護制度や医療補助制度の根幹となる支え合いの理念がおかしいわけではないと感じる瞬間だ。正当な需給できる要件を満たしている人々の方が謝ってきて、どう見ても不正に需給している人々が「もっとくれ!」とデモ行進が現状だ。これはおかしい。
そもそも支える側は税金を払いたくないと主張しているわけでもなく、生活保護制度などの補助についても反対しているわけではない。そういう納税者たちが圧倒的多数だろう。働けるというのに働こうとせずに生活保護で一生を送ろうとしている人々を受け入れたくないし、そんな余裕が本来は無いだけのことだ。納税者たちの本来は無いはずの余裕が結局は存在しているかのように見えるのは、単純に納税者たちの方が生活保護受給者よりも倹約に努め我慢しているに過ぎない。だからこのバランスがおかしいと言っている。我慢するべきは百万歩譲っても生活保護受給者だ。
金銭の収支で言えば多くの納税者でやっと一人の生活保護需給家庭を支えているわけで仕事をしている納税者たちは税という形とはいえずっと払い通しなわけだ。対して生活保護受給者たちは稼がないのに何年でも何十年でもまるで仕事に就いているかのごとく収入を得て、医療費なども免除されるという高待遇。つまり貰い続ける人生なので金銭的には支出よりも収入の方が圧倒的に多いと言える。そもそも支出という概念すら当てはまらない。というわけで、お金の流れでいえば生活保護受給者はプラスにはなっている。
問題は誇りの部分だ。生きていくためには必要な要素だ。誰しもこれだけは譲れないという大切なことだ。この人としての誇りという部分では納税者たちは大幅にプラス収支で人生を終える。これはお金でどうにかなる問題じゃない。そして家族の誇りにもつながる。誇りは友人たちと共有できるものでもある。ずっと勤労の義務を果たして守った誇りはデモ行進までしてしまう生活保護受給者たちには絶対に得ることができないものだ。その家族も同様にだ。自分たちで実体験しないと誇りはイメージすらできないことだろう。定時に起きて満員電車に揺られて遅くに帰宅して疲労困憊でも誇りの経験値は毎日上昇している。本当に一生懸命に働いたことがある人は(ミジンコもそうだが)色々と文句も愚痴も出るものだが本当は「損をした!」とは思っていない。むしろ自分のその生き方を誇りにしているはずだ。
生活保護受給者たちで現状から抜け出そうと頑張っている人々はきっとその誇りを取り戻したいのだ。その気持ちはよく分かる。金銭や疲労感の損得なんかではないのだ。自分が自分を好きでいられる絶対的な条件としての誇りを取り戻したいのだ。お金の収支で言えばそりゃ納税者たちはマイナス収支かもしれない。けれど、誇りの収支で言えば間違いなくプラス収支なのだからなかなか上等な生き方だ。
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