ルース駐日大使が大使としては最後となる日本での独立記念日を祝った。大使は今年中での退任が決定している。大使館で行われたお祝いの席にミジンコも出席。和やかな会で出席の方々の表情も皆朗らか。あの鳩山由紀夫の信じられないような米国への対応、いやもはやあれは裏切り行為というべきものだったが、それでも今もって日米関係が崩壊せずに固い絆で結ばれていることの最大の功労者はルース駐日大使だ。
鳩山由紀夫が首相時代にどれだけ米国の神経を逆撫でするような言動を繰り返しても、ルース駐日大使はその当時の民主党政権のことを冷静に分析し、本国に適切な提言をしていたと思われる。ミジンコも色々と聞いてはいるが、それらのルース駐日大使の提言は常に日本は味方であるという信念が根底にあった。民主党政権時代に政権与党の議員たちが国民を苦しめるようなことばかりを繰り返し、国益を損なうどころか売国政策を実行し、国土を喪失させようとさえしている時に、外国の大使、そうルース駐日大使は常に日本人の幸福と日本の未来のための行動をしてくれていた。本当に返しきれない恩なので困っている。ルース駐日大使は恩返しなんてことは求めていないだろうがミジンコのライフワークが増えたと考えている。アメリカ合衆国は売国政権や大震災など日本が陥るほどの困難に遭遇しないかもしれないが、それでももしアメリカが助けを求めるのであれば必ずなにかをして少しでも力になりたい。
トモダチ作戦、東日本大震災の直後に米政府と軍が展開してくれたこの作戦でどれだけの日本人の命が救われたことだろうか?当時の政府に重大な責任があると思うのだが今回の震災でも自衛隊の初動は速いとは言えないものだった。指揮の中枢を担うべき政府、閣僚たちがボンクラだったからだ。当時の首相である菅直人に至っては要らない視察に出向いてベントを遅らせ原発事故を悪化させる始末。話にならない指揮・命令系統の日本だった。そんな中、陸の孤島と化した被災地に海兵隊のヘリがすぐに到着していた。怪我人を搬送し、衣料品や食料・水をどんな僻地でも送ってくれた。ヘリや輸送機の海上基地とするべく空母ロナルド・レーガンを迷わず派遣してくれた米政府の決断力の速さが被災地を救った。仙台空港の瓦礫をあっという間に撤去して使用可能にしたもの米軍だ。空港、すなわち輸送機や輸送ヘリの補給地点をいち早く作ればその後の救援活動が捗る。さすがに米軍だった。そういう決断と行動の速さが被災者たちを救った。阪神大震災のときには当時の村山内閣が余りにも愚鈍だったので助けられるはずだった人々を見殺しにしてしまった。東日本大震災でも多くの犠牲者が出てしまったものの、もっと多くの犠牲者の可能性があったところを米軍がそれを最小限に食い止めてくれたのだ。感謝してもしきれない。このトモダチ作戦が迅速かつ具体的に実行に移された裏にはルース駐日大使の尽力がある。
本当に震災時の米軍の活動には感謝という言葉では語り尽くせない。期せずして自分は米軍を退役した人々を雇用する会社の取締役でもある。本当にトモダチ作戦に従事してくれていた人々が今自分の部下となっている場合もあるのだ。時折、トモダチ作戦について本当に感謝している旨を彼等・彼女等に伝えるのだが「お安い御用さ」といった答えばかりが返ってくる。これがアメリカ人の本質だと思う。だからアメリカ人たちを信頼している。
こういうことも震災時には多大な支援になっていた。本当にこういうアメリカ人たちになんとか恩返しをしたい。
震災直後に日本の政治家たちが右往左往し、地元に帰ることを避けているときに、ルース駐日大使夫妻と米太平洋軍司令官・ウィラード大将夫妻がどう被災地に接してくれたのか?思い出すだけで涙が出る。詳しくは→
ルース駐日米大使避難所に、被災者が大きな拍手
ルース駐日大使、あなたが日本人に与えてくれた本当の友情に感謝します。真のパートナーシップとはなんなのかをあなたは私たちに教えてくれました。あと大使館に着グルミで入ろうとしてごめんなさい。ニューヨークの晩餐会会場にも着グルミで入ろうとしてソーリー。
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