この「地球環境保全を考える」というカテゴリーの記事は2回目なのだけれど、いきなりちょっと脇道にそれる話題を。
日本にその傾向が顕著なようなのだけれど、
弱る太陽 活動200年ぶりの低水準(asahi.com)といった記事を引きあいに出して「地球がミニ氷河期に入るために寒くなる、それではもっとCO2を出して地球を暖めよう」という意見をチラホラと見かける。
ミジンコとしては地球環境保全を考える上で「他者の奇抜なアイデアも絶対に排除しないで聞くべき」ことの大切さはこの数年で実感しているので、そういう意見があっても良いと思う。それもひとつの意見であって、掲示板などでその時の気分で書いている意見とミジンコが述べる意見とは収集した情報量が例え10万倍違うとしても、意見としての価値は等価だと考えている。
しかしながら、わざわざ「CO2を出す」ということを推奨するのは愚かな行為だと言わざるを得ない。
感情的に「地球が氷河期になるのならば、地球を暖めた方が良い」とする意見は短絡的な結論だと断じたい。
それこそ、未来の人々の嘲笑の的となる行為だろう。
そういった「氷河期だからCO2を出して良い」とする人々は、根本的な問題を見据えていない。
先ず第一に、今ある地球のCO2量だけでも、過去60万年で最高の量であって、このまま放置しておいて問題があるのか否か、まだ結論が出ていない。せめて、今のCO2量では少なすぎて温暖化の促進には結びつかないとする説(これも有力な説のひとつ)が、もっと確固たるデータで武装されるまでは、わざわざCO2を多めに出すことは無い。
もうこれは人間性の問題だと思うのだが、「まだわからないことだらけなので保険を沢山かけるタイプ」と「まだわからないことだらけなので好きに生きようとするタイプ」が対立する格好と言えばいいのだろうか。
前者と後者、これを決めるのは各自の判断とはいえ、後者のやり方は賢いとは言い難い。
地球がミニ氷河期になろうが、起きているかどうかも解らない温暖化が起きていると仮定してだろうが、要は正直な話、なにが起きているのか全く解らなくとも、わざわざCO2を吐き出すことは無いということ。
さて、ミジンコも「原発推進派」並びに「ウラン利権」に関係する企業・財閥には憤りを感じているし、そもそも「CO2排出権」などという新商品には呆れて開いたクチが塞がらない。
以前にも述べたが、エコロジーだとかグリーンテクノロジーといった言葉が悪党たちの利益を生み出していることには怒るだけではなく、断固たる決意で対峙する所存。
火をつけて作り出すエネルギーや後世に負の遺産を残す原発をこれからも推進していくメリットが人類にあるとは思えない。
同じコストだったとして、CO2を出す機械や乗り物をCO2を出さないモノよりも率先して使う理由も理解し難い。
今は人々が今言われているエコロジーではなくて、本当のエコロジーを学ぶべき時期なのだとは心底感じる。
ミジンコももっと勉強をしないとならない。
余談だが、「エコ」って言葉に惑わされないことが大事なのだと思う。
ハイブリッドカーが必ずしもエコではないこと。LEDライトが蛍光灯よりもエコだとは言い切れないこと。
そんなことがもっと広く当たり前の知識として浸透することを切に願う。
ご存知の方も多いことなのだが、ミジンコはエコバッグを使わない。買い物をしたときはレジ袋を貰う。そんなときに罪悪感は全くナシ。なにしろその行為自体がエコバッグを使っているほとんどの人類よりもエコなのだから。もう皆さんも、この意味はお解りですよね?
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