余りに呆れた。取り上げるのもどうかと思ったがそれでもスルーするのもどうかと思うなんとも萎える運動を知ってしまった。
日本国民にノーベル平和賞を 署名サイト、支持広がる(Yahoo!ニュース 神戸新聞)
神奈川県の主婦が個人サイトで署名を募り、ノーベル委員会に日本国憲法9条のノミネートを依頼するんだとさ。・・・・・はぁ(ため息)
安倍政権による憲法改正の流れをなんとかするために必死な人々が賛同しているんだろうが、こんなとんでもなく恥ずかしい手を打ってくるとは驚いた。ノーベル賞は頼んで貰うものじゃないだろうに。
そもそもノーベル平和賞自体がまるでブラックジョークのような受賞者の数々だ。先にノーベル平和賞を授与しておいて今後の世界を平和にして欲しいという願いを込めている面も否めず、同じノーベル委員会が運営しているとはいうものの他の部門の賞と平和賞は別物だ。
9条があるから平和だと信じたい人々がいるんだろうがそれは現実とは乖離している。ソマリア沖を航行するピースボートの船には自衛隊の艦船が護衛につき、それをピースボートも「9条があるので大丈夫」とは言わずにしっかりと護衛を受け入れていた。所詮はそういうことだ。
世の中には武器を手に取らないことを正義だと信じて疑わない人々がいることは承知している。そういう考え方もあるんだろう。当ブログの管理人であるミジンコは目の前で武器を手に取らないままの人々が侵略してきた軍人やテロリストに撃たれる状況であれば迷わず、その撃とうとしている者たちを今まで培ってきた能力の全てを使って阻止する。心の面でも身体能力の面でも迷わずそれができるようにしている。その際に自分は9条バリアーどころか相手の武器を奪ってでも反撃することだろう。これを平和じゃないと言われても知ったことじゃない。俺は反撃するということだ。
そりゃ反撃しないという生き方を選択できればどんなにラクなことかと思う。武器の使い方を学ぶと気が滅入る。人を殺す道具の使い方を習得することが無い人生というものはそりゃ選べるものならば選びたかった。体を鍛えることがラクなんてこともない。精神面も相当にきつい。それでもノーベル平和賞なんて要らないから目の前の人たちの犠牲を最小化することを優先したい。平和だの賞だのそんなことにこだわるよりも現実的に有事の際には犠牲を減らすことを考えるべきだ。その考えを巡らせると9条の限界はおのずと見えてくる。
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