今晩の集団的自衛権の行使容認についての安倍総理の演説は説得力のあるものだった。図解での具体的な説明は「たられば論」を吹き飛ばすほど理解し易く、集団的自衛権の行使を反対する者たちがいかに日本人を危険に晒しているのかをも分かりやすく説明していた。総理は例え話として海外には130万人もの邦人が滞在しており、その邦人滞在地で紛争が起きる可能性に言及し、その邦人たちを救助した米軍の船が日本に邦人たちを送っている最中にその船に向かっているミサイルさえも自衛隊は現状では撃ち落とせないもどかしさを訴えていた。どう考えてもそんなミサイルは撃ち落とすべきだ。集団的自衛権をイコールして日本が戦争に突き進んでいるかのように表現している反対派たちには痛烈な批判となった総理の演説だった。総理は暗に反対派に問うているのだ。ではそのミサイルを撃ち落とさない日本を望むのか?と。自分ならそんなミサイルは100発撃たれても100回撃ち落とす。日本人やその日本人を救出してくれた米軍の艦船の乗組員たちが殺される位ならばミサイルを撃ち落とすべきだ。
総理という立場なのでどうしても安倍総理には言及できないことがある。総理なので言えないジレンマがあるということだ。総理ではない一人の日本人の当ブログの管理人ならばなにも問題なく言えることだ。もし集団的自衛権を発動させないまま、安倍総理が例えたような事態、即ち邦人を輸送中の米軍の船にミサイルが向かっているとしたら、十中八九ではなく先ず間違いなく起きることがある。ここまで断言できる根拠は?と言われても困るのだがこの後の下りをご覧になった皆さんならば同じ考えに至ると確信している。邦人を乗せた恩人とも言える米軍の船が日本に向かっているところにその船に向かうミサイルを感知した自衛隊がそのミサイルを落とせる範囲も装備も整っていた状態ならば集団的自衛権の有無は関係なくそのミサイルを撃墜することだろう。自衛隊の司令官が命令無視でイージスシステムを使用して命令に背いて迎撃ミサイルを発射する。集団的自衛権が無ければ自衛隊は日本政府に背いて戦闘行動に移ったということになる。政府だけではなく日本国民が総出で自衛官たちに日本人を守ることを丸投げして責任だけは自衛官たちに押し付けることに否応なしになるということだ。そんな国も未来はクソッタレだ!
間違いなく自衛隊は邦人を救ってくれた米国の艦船に向かうミサイルは叩き落とす。その艦船を攻撃する船や航空機にも威嚇ではなく攻撃を加えることもあるだろう。集団的自衛権そのものを否定する愚か者たちは人の感情というものを理解していない。集団的自衛権が発動されなければ自衛官たちが日本人とその日本人を守ってくれたアメリカ人に向かっていく攻撃を指をくわえて見ていると思っている。そんなわけがない!だからこそ先に自衛官たちが正しいことをしたときにその責任を自衛官たちにだけ押し付けない法整備が必要なのだ。安倍総理が時間のかかる憲法改正よりも先に政府の解釈の問題と批判されるやり方でここまで集団的自衛権行使容認について急いだのは急がなければ自衛官たちに責任を丸投げにしてしまうからだ。国外のニュースを見れば急ぐのは当然だ。ロシアが今ウクライナになにをしているのか?中国はベトナムやフィリピンにも日本に対してやっている非道をやっているじゃないか!ナイジェリア政府は狂気のテロ組織に対抗する力がなく米国に助けを求めている。世界は平和ではない。
日本人を守るための行動には自衛官たちだけではなく政府も国民もそれぞれに責任を負うべきだ。いや責任というよりも覚悟の方が適切な言葉かもしれない。日本人が乗った米国の船に向かう攻撃を撃退したとき、その後に起きるであろう全てのことへの覚悟だ。自衛隊に反逆罪のような汚名を着せるわけにはいかない。だからこその集団的自衛権行使への容認なのだ。
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