ギャレス・エドワーズ監督だということをもっと意識していればここまで失望しなかったことだろうと映画を観た後で気がついた。「ターミネーター 4」の監督が「チャーリーズ・エンジェル」(監督)や「The OC」(製作総指揮)のMacGであることを覚悟していたので、ターミネーターの大ファンであってもある程度の諦めがあって映画鑑賞後も「まぁ、こんなもんかな」と達観していられた。今回の「ゴジラ」も油断するべきでは無かったのだが、ギャレス・エドワーズ監督がまさか「モンスターズ/地球外生命体(原題:Monsters)」と同じような作品を大予算映画ではやるはずがないと疑ってすらいなかった。そこが今回は甘かった。
「モンスターズ/地球外生命体(原題:Monsters)」、この作品をご覧になった方はそうは多くないだろう。国内での上映館は僅かでその僅かな上映館でも人は入っていなかった。50万ドルという低予算でギャレス・エドワーズ監督が監督だけではなく撮影からCG製作までほとんど全て一人でこなし、主演の二人以外は全てその撮影現場にいた一般人の出演協力で完成した作品だ。その余りにも奇抜な手法により話題となり同作品は大ヒットとは言わないが大幅な黒字となったようだ。
この原題が「Monsters」な作品、日本で公開された時には地方の映画ファンたちなどは近場で見る術が無く、DVD発売/レンタル開始までは相当に期待されていた。そしてDVDリリース後はAmazon.comなどで批判の嵐。まさかに「駄作、金返せ」のシュプレヒコールが上がっているようだった。その批判する気持ちは“劇場で鑑賞後にポカーンとなった”自分には予想できた。なぜなら、その「Monsters(モンスターズ)」というタイトルの作品では怪獣らしきものは合計でもほんの十数秒ほどだったろうか、その程度しか登場せず、作品はなんと「恋愛ロードムービー」だったのだ。恋愛が散りばめられた作品だということは知ってはいたが、まさに上映時間90分強が苦痛に思えるほど俳優も女優もなんともビミョ~なキャスティングな上に他の登場人物たちは前述のように一般人の皆さん、その場限りのエキストラにしては皆さん演技が上手いとは思ったが現地メキシコの公用語であるスペイン語か英語が分からないと彼等の演技力を測ることも難しいのだ。
鮨屋に行ってラーメンを出せというのはただの迷惑な客だと思うが「モンスターズ」というタイトルの映画で事前に宇宙からの謎の生命体云々の話を聞いた上で映画を観てみたら、映画は全編を通じてただの恋愛ロードムービーでは怒るのも無理はないだろう。その衝撃も4年ほど経つと薄れてしまっていたようで「ゴジラ」の監督への警戒を怠った自分の迂闊さが許せない。くそう!
今回のゴジラ、CG部分は勿論のこと素晴らしく、称賛すべきところも多々ある。但し、やはり監督の演出力がエンターテイメント作品を作る上で余りにも足りない。今のCG技術が向上した状況で大予算で怪獣映画を作ればこの位にはなるよなという及第点にギリギリ届いている程度で「ゴジラ」の映画である必要性が全く感じられなかった。日本や日本の怪獣映画製作者たちへのリスペクトは大いに感じられるのだが、その尊敬を示す姿勢は作品のデキで表して欲しかった。劇中の台詞や設定、登場人物の名前でそこかしこに日本の怪獣映画への尊敬の念は伝わって来るのだが、出来上がった映画が怪獣映画というよりもまたしてもアメリカの軍人がサンフランシスコに住む妻子に出会うまでのロードムービーと化しているのでは台無しだ。 語ればキリがないし今の時点での数多くのネタバレは避けたいので、なぜにそこまで今回の「ゴジラ」に失望したのかを箇条書きに留めておく。
・以前にも
「ゴジラは核実験の落とし子であるべき」にて述べたが、アメリカや旧ソ連の水爆実験の数々がゴジラを倒すために行ったとする設定はゴジラが核兵器により生み出された人類への戒めという理念を侮辱したものである。ゴジラが吐く炎は実は放射能を含んでいるという核兵器を生み出した人類への強烈なしっぺ返しであるというコンセプトは変えるべきでは無かった。アメリカは悪くないといった考え方ではゴジラは成立しない。核兵器はどうあっても悪だ。
・映画のタイトルを「MUTO(ムートー)」にすべきだった。ゴジラの僅かな出演時間に比べて映画序盤から最後までゴジラとは別の怪獣であるムートー夫妻が大活躍。ムートー夫妻のデザインがとても人気が出る感じのしないホッキキスと昆虫が合体したようなものであることも残念。
・ハワイでのムートー(オス)とゴジラが対峙した後でシーンが変わり、劇中待ちに待った最初の怪獣同士の対決シーンは劇中のテレビ画面でチラッと映るニュース映像で一瞬だけ流れるだけ。ラスベガスを壊滅させるムートー(メス)の描写もほとんどなくこれまたニュース映像でちょこっと流れるだけ。「モンスターズ」と同じような怪獣チラ見せはこの監督の性分なのかもしれない。
・長年ゴジラやムートーを管理・研究していたという機関の幹部(?)の博士である渡辺謙や助手の女性博士は結局はなにもしていない。米軍司令官に苦言を呈する役目が主な仕事だったようだが、広島原爆投下の瞬間で止まった懐中時計が父の形見として司令官にわざわざ見せるシーンなど、核兵器へのアンチテーゼ的な演出はあるものの総じて薄っぺらい。主人公の父親、母親、途中で出てくる両親とはぐれたアジア系の少年など、いる意味が全くないとは言わないが余りにも人物描写が希薄なのでまるで謎のキャストとなっている例がほとんどというキャスティングが総じて「なぜ?」と感じる稀有な作品だ。こう言ってはなんだが人間のキャストが全員いなくとも成り立ってしまうほど各キャストの存在意義が薄い。
・人間の主人公がいないといけない妙な縛りがあったのだろうか?主人公の米軍大尉が太平洋を横断しつつ、日本の架空の廃墟の街からハワイ、そして米国本土へと怪獣がらみの作戦に全て参加しているのだがどうしてもいないといけないキャラクターだったのだろうか?いちいち「愛」というテーマを盛り込まないと興行収入的に失敗すると恐れての演出が透けて見えている。
・ゴジラが人間の味方のような演出にこだわる余りに人間のほとんどはムートー夫妻に殺され、街を破壊しているのもほとんどがムートー夫妻のせいという作り方は大きな違和感があった。ゴジラはまさに人間では抗しようがない天災のような存在であるはずが、なんでかゴジラは人間には余り猛威を振るわない。むしろゴジラはムートー夫妻しか眼中になく米軍の攻撃などはまったく意に介していないのではあるが「ゴジラは人を殺さない」といったおかしなコンセプトに縛られて作られたような妙な演出の数々でゴジラ作品としてはわざわざ迫力不足にしてしまった。今後予定されているという三部作の2作目3作目への布石なのかもしれないがその布石自体が逆に今後の展開の足引っ張りになる可能性が高い。ラストも(またしても劇中のニュース映像で)「ゴジラは救世主か!?」とあったが余りにも陳腐な演出で笑ってしまった。
・最終決戦の映像が暗くて良く見えない。CGを誤魔化す手法として夜間というやり方はどうにかならないものだろうか?この作品に限らずCGを多用する作品はわざわざ戦闘シーンを夜に行う。「パシフィック・リム」の香港での戦闘などもそうなのだが怪獣やイェーガー(巨大ロボ)の各所が光を発しているので見え辛いというものの、どう腕や足が動いているのかは分かる。今回のゴジラの場合は絶望的に怪獣たちが闇と同化してしまうシーンが多く、これで関係者試写会で疑問視されなかったのか本当のところが知りたいところだ。まさか関係各位全て夜行性とかだろうか?
ちなみにゴジラの咆哮はシリーズ屈指の大迫力だ。あの咆哮を聴くためには是非とも劇場での鑑賞をオススメしたいが困ったものでストーリーをまったく支持できないので高い劇場鑑賞券、ましてや3D鑑賞券を安易にはオススメできない。再びゴジラ製作を決定した映画会社の幹部たちは恐らくは「Monsters」を観ないままでギャレス・エドワーズ監督起用にゴーサインを出したのだろう。何人もの有名な監督の名が挙がっては消えていく中でゴジラ監督選びは難航していたことは明らかだった。映画会社幹部たちは知らないだろうが「Monsters」は怪獣映画ではなく、陳腐な恋愛ロードムービーなのだ。それが今回のゴジラの悲劇の始まりだった。
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