物事、そして経営手法についてそれなりの大人のやり方というものがあることは分かっている。さすがに様々な事業をやってきて関係各位のご尽力のおかげでなんとか事業を潰さないでやっていけている身としては経営上の絶対というべき、法令順守や社会貢献といった企業が必ずやるべきことがあることも当然承知している。
昔、といってもまだ10年ほどしか経っていないと思うのだが東京都中野区の書店が閉店した。店主ご夫妻の高齢化もあったとはいえ、閉店の最大の理由は「万引き」だったという。子供の頃には中野区に寮を経営していた祖母の自宅があったので中野は自分のプレイグラウンドだった。その書店もそこにあって当然の存在であり、留学から戻った後もちょくちょく利用していた。真面目な経営の書店が月に数十万円規模の万引きに遭い経営難となったのだ。薄利多売が基本の書店経営で万単位で書籍が盗難に遭えば、その損害を補填するべき粗利としては盗まれた書籍の10倍以上の本を売上なければならないこともある。つまり万引き常習犯たちのターゲットにされた書店は先ず継続不可能ということだ。万引き犯たちは店を潰すつもりは無かったと言い訳をするだろうか?数百円から数千円の本くらいで本屋が潰れるとは思わなかっただろうか?ふざけるな!と言いたい。粗利、経常(けいつね=経常利益)、従業員への給与、コスト管理、経営とはそんなことが24時間アタマから離れないプレッシャーと生きることだ。経営を1度でもしたことがあるのならば、数百円の商品の万引きによりどれだけそれを補填するために売らなければならないのかは分かるはずだ。
その万引きによって閉店へと追いやられた書店と同じく中野に拠点を構える「まんだらけ」が二十数万円もの高額なオモチャを万引きした疑いが持たれる男性のモザイク入りの写真を公開して、期限内(期限は明日)までに万引きしたオモチャを返さないと顔モザイクを外して公開するという手段に出た。法律の専門家たちは私刑にあたり問題があると述べている。まんだらけ支持の声は大きいが反対する声も少なくはない。
まんだらけの対応として問題となりそうなことは先ずは民間企業による私刑にあたるかもしれないということ。また写真の容疑者が本当に犯人なのか否かの判断が明確には言い切れないこと。極端な意見ではあるが結構数多く見た意見は「商売はそんなもの」とまるで他人事な意見。まぁ、確かに他人事なのではあろうが、前述の中野の書店のようなことは全国各地で起きているわけで本当に他人事で済むだろうか?街の商店のひとつひとつが日本経済で言えば血中で酸素を運ぶヘモグロビンのようなものだ。そういった裾野で頑張る商店のひとつひとつの経済活動を応援してこそ、回り回って国民1人1人が好景気を享受できるというものだ。
まんだらけに対して批判的なことを言うは容易い。確かにまんだらけがやっていることは社会的には問題があると言える。但し、その社会において店舗経営の危機である「窃盗」を「万引き」という言葉に変えてさも微罪のように扱ってきた背景が無いだろうか?実際は強盗と大して変わらない被害を店に与えても「万引き」だ。しかも万引き犯に厳しい態度を店が取ると批判されたりもする。まるで万引き犯が一時の気の迷いでやったことなのだから、厳しい態度をする店の方が悪者扱いになったことがこの日本で無かったと言えるだろうか?実際は泣きたいのは店のほうだ。そんな万引き犯に甘い社会のおかげか店は次々と万引き犯たちの被害に泣き、そして倒産の憂き目に遭ってきたのだ。店を破壊するような強盗に遭った店舗が翌日に潰れればインパクトがあるのかもしれないが、万引きの場合はその犯行も静かなものだから同情もされ難い。店が公表しない限り普通の客たちにはなにが起きてどれ程の万引き被害額があるのかも分からないままだ。ひっそりと閉店しても店側が閉店理由の張り紙に「万引き犯のせいで」とは書かないので店主と付き合いがある常連客くらいしか深い事情を知らないまま店はひっそりと街から消えていく。もうそういう状況を止めるべきだろう。
そりゃ、まんだらけのやっていることを肯定すると問題もあるのだろう。私刑についての議論、冤罪の可能性などなど、完璧に弁護することが難しいほどだ。それでも心情的にはまんだらけを叩けない。ずっと泣き寝入りが商売の基本なんておかしいと思うからだ。一番悪かったのは誰かは誰だって分かることだ。その一番悪いヤツの権利ばかりを守ろうとして、なんとか経営継続を試みている万引き被害者たちが策を講じたことを頭ごなしに批判する気には到底なれない。
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