キムタクがドラマの中で線香の火を吹き消したと聞いた。呆れたというよりも、40歳を過ぎてそういうことも知らないんだということに憐みを感じる。そんなシーンをなんの疑問もなく編集カットせずに放送してしまう今のフジテレビのドラマ製作の質の低下が窺える。
彼はアイドルという側面があるとはいえもう中年男性なのだ。子供じゃあるまいし、今までに墓参りやご焼香の場を経験することは幾度となくあったことだろうに、今の今までそういう常識を知らないまま歳を重ねてきたことは本人にとっても悲劇だ。
杓子定規に「ちゃんとした大人」を定義することは難しい。そもそも「ちゃんとした大人」って何なのだろう?という話になってしまう。ひとつの尺度として、ストイックに「子供の見本になれ」とまでは言わないが「子供が真似したら困る」といったことを公にやらない者は大人だと考える。
芸能界で活躍する馬鹿なこと、常識が無いことを売りにしている大人の仮免許中といった者たちはこの最低限なことができていない。確かにそういう奇抜なキャラクターの方が番組中で目立つことは目立つのだろうが、今の自分の国の首相の名前を知らない(←本当によくある)、中学生レベルの国語も満足にできない、言葉使いが異常に汚いといったことを堂々と全国放送で披露することは、いわばモラル低下の原動力になっていることを少しは自覚して「学び直し」をするべきことだ。
日本はこれからも経済的にかなりの苦戦を強いられること必至だ。アベノミクスに盛り込まれていたはずの数々の景気対策は不発に次ぐ不発な上に円安がいわばアベノミクス構想からは想定外のところで起きているのだから国内産業が甚大なダメージを受けている。これでは民主党政権時に続々と国外に脱出した日本企業の工場群はまさに賢明な決断を下したという他ならない。できれば国内で踏ん張って欲しかったが今の惨状を見れば国外脱出組を責める気にはなれない。そういった今後の国内状況が混沌としていく中であるからこそ、テレビ番組という国民の娯楽は高いモラルを発揮するべきだ。国民(視聴者)に余裕のあるときに、テレビでどんなに非常識なこと馬鹿なことを拡散しても大して心配もないものだが、国民総苦しい生活になっていく時代に「馬鹿放送が散乱」では洒落にならない。苦しい時こそ「馬鹿でいいんだ」と開き直るのではなく、「ちゃんとしていないと事態は好転しない」だからだ。ここが踏ん張り時というときにトップスターがこの国の風習として非常識なことをしれっとドラマで演じたり、開き直り馬鹿芸人たちが跋扈するようでは先行きが心配だ。
踏ん張りどころなとき、事態を改善したいとき、自分を戒めて「ちゃんとする」ことがなによりの特効薬となる。テレビ番組こそがそういう国民(視聴者)を支援する追い風を吹かせるべきだ。ちゃんと学び、ちゃんと努力し、ちゃんと周囲の甘やかしを理解し自らを律してきた人々にスポットライトを当てて「自分も頑張ろう」という気分になるというものだ。妙なゴリ押しタレントやバーターで出演しているだけの芸人を見て「自分も頑張ろう!」とはならないということ。ミジンコがふなっしーや武井壮をずっと支持している理由は事務所の力どころかまったくの独学・独力でバーター出演の機会など無いままに今の地位に登って来たところ。正直いって、この両名については数十年続いていた芸能界をつまらなくしている理由の根幹を打ち砕いてくれていると感謝している。
面白い人、人気のある人、番組を面白くするキレのあるアタマの良い人が重用されることこそが視聴者にとっても幸せなことだ。皆さんもテレビを見ているときに幾度も思ったことがないだろうか?「この人のどこが面白いの?」と。実は日本全国津々浦々、誰も面白いと思っていない芸能人がやたらと番組に出演しているなんてことがあるのかもしれない。それでもそんな芸能人に限って延々と出演し続ける悪夢すらあると見ている。テレビ自体が低迷している理由の最たる理由は視聴者が馬鹿ではないということだ。視聴者は見るに堪えない馬鹿で常識の無い芸能人を見るほど暇じゃない。
ドラマで常識ある大人ならば総ツッコミを入れるような非常識なシーンがしれーーーっと流れ、芸ではなくて馬鹿を売りにする芸能人たちのシェアが拡大。こんなことではそりゃテレビ離れが加速するのも無理はない。かつてのNHK教育のような番組だけ流せとは言わないが、せめて年齢相応の大人たちをメインに番組は作られるべきだ。コドモ大人たちがテレビの主役では日本馬鹿化計画が進行中となってしまう。
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