多くの人々に集まっていただき、自分たちの声を聴いていただきたいと願うならば、「死にたくなければ」などという脅迫的な文言を使うべきではない。これではまるで凶悪犯の脅迫文だ。
「戦争とめようぜ」ってのも一体なんなんだ?この貼り紙から約3ヶ月、日本は戦争に突入しただろうか?戦前生まれの集団的自衛権に批判的だった著名人たちの幾人もが「太平洋戦争開戦1週間前の雰囲気と酷似している」といった発言を盛んに繰り返していた。1週間どころか3ヶ月経ったわけだが日本は戦争を行っていない。
毎度毎度、国会周辺で行われる大音量デモは単に国会議員たちの国会での仕事をままならなくさせる為の妨害行為でしかなく、民主主義で選出された国会議員たちの国会運営の妨害はすなわち我々国民に対しての侮辱でもある。主義主張は音の大きさでその優劣が決まるものではない。
欧米諸国はテロ組織に狙われ続けいつまた大規模なテロが行われるのかと戦々恐々としている。中東でも北アフリカでもテロ組織の活動が活発化、ロシアとウクライナは戦争状態、自業自得とはいえ中国はウイグル自治区の治安を人権無視の強権政策でも制御できないでいる。そんな混沌とした世界情勢の中、日本はどうだろうか?いくら中国やロシアから領土侵攻の脅威に晒されようとも、北朝鮮が日本を照準に収めた弾道ミサイルを設置しようとも、攻撃手段を用いないで自衛隊も海上保安庁も無理難題にもほどがある命がけの国防に取り組んでいる。日本ほど自ら戦争に突入する可能性が低い国は無い。そう、日本は世界屈指の平和国家だ。
この貼り紙を貼り、集会でさも日本が戦争をしたがっているかのように吹聴する活動家たち、彼等の言う戦争へのカウントダウンはいつまで経ってもゼロにはならない。3流詐欺師でもこんな三文芝居は打たない。70年以上前の開戦直前の日本と今の日本の状況がそっくりだと言い放っていた著名人たちはそうやって恐怖を煽っていたことについて誰も謝罪をしない。つまり言いっ放しだ。
日本でのスパイ活動を取り締まり、また諜報活動の協力者たちの安全を確保する為にも絶対に必要だった特定秘密保護法案の時もこういった活動家たちは大騒ぎ、国会前で逮捕者まで出す大暴れの上に鼓膜が破れんばかりの大音響デモ。当時はあの周辺を移動することが憂鬱になるほどだった。誰だって耳の奥底、まさに鼓膜が痛くなることは望まない。音からはなかなか逃げられないのだということは紛争地帯で散々爆発音やヘリの爆音に慣れている身なので知ってはいたが日本では左翼活動家たちのデモの近くがその危険地帯と化すのだ。特定秘密保護法案が止められないとなると、左翼活動家たちの標的は今度は集団的自衛権にあっという間にシフトした今年、特定秘密保護法案のときは「言論の自由」が危うくなるようなことをテーマにして爆音デモを行っていたが今もって日本では自由に言論できる。活動家たちが総理大臣を侮辱する言動を行い名誉を毀損しても逮捕はされていない。皮肉なことに活動家たちの日々の言動が彼等が主張している特定秘密保護法による言論封殺が行われていないことの証明となっている。そんな皮肉な状況再びというべきか、集団的自衛権がイコールして戦争突入ではないということが現在進行形で証明されている。いったい今の日本のどこに開戦の雰囲気があるだろうか?
「死にたくなければ」もへったくれもない。この日本で戦争による「死」に怯える必要なんて無い。そんなありもしない恐怖で脅かし、自分たちの主義主張を肯定している活動家たちは今もって日本が戦争に突入していないことについて自分たちの主張を訂正もせず謝罪もしない。これは相手が日本という国家相手だからこそ、無茶苦茶な主張ですらその責任を有耶無耶にされている単なる甘やかされた状況なのだ。個人だったらどうだろうか?「ミジンコさんが殺人をする!」「ミジンコさんが人殺しをする1週間前だ!」なんて3ヵ月前に言い放って集会を始めた連中がいたのならば今頃全員訴えて責任を取らせている。対象を個人の例として例えるといかに活動家たちの主張がいい加減で無責任なものであるか分かり易いことだろう。大多数の人々からは相手にもされていない活動家たちならではの甘やかされた状況がこういった馬鹿げた貼り紙を生み出しているのだ。電力会社やNTTなど電柱にも所有者は存在する。そんな電柱の所有者がこんな貼り紙を歓迎するわけがない。そう主義主張以前に電柱への無許可の貼り紙が社会ルールに反している行為である上に、そもそも「死」なんて言葉を用いた脅迫文を貼り付ける行為が社会の脅威となっている。そういう社会の一員として守るべき基本をおざなりにして行う政治主張なんてハリボテ以下の虚しい虚構だ。
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