数年前にインタビューでこの内容を語った坂本龍一。よく平気でこんなことが言えるなぁと呆れたものだ。当時、このインタビューを知り、真っ先に思ったことは「天性のいじめっ子ってこういう発想なのかな?」ということ。最初から他者の事情も考え方もまったく考慮する意思が無くて自分の都合ばかりで物事を判断する為、いつも「自分が被害者」なのだろう。実際は自分がいじめをしている加害者であろうとも、こういう発想をする人物にとっては自分は被害者なのだ。こんな人物の近くではおちおち飯も食えない。
学食で一人で食べている人を見てこんな酷い感想を持つ人物が今や原発反対を訴えている。脱原発がうさん臭く見える理由のひとつは、こういうなにかしらの実績で認められてはいるものの人格的に非常に問題がある著名人たちが前面に出過ぎていることだろう。やたらと他者へはエコを訴えかける割には自分は電気を湯水のごとく使うタイプの人間たちだ。原発を全て廃炉にした後のことは「専門家たちの責任」として原発エネルギーに代わる代替エネルギーについても考えない。再生可能エネルギーの多くはまだまだ原発の代わりとするには前途多難であることも完全無視でひたすら「原発を無くせ!」と叫ぶ。そんな無責任な反原発派の著名人たちも当然のよう燃料を使用する交通機関を使い、現代社会の様々な燃料を使ったテクノロジーの恩恵に与っている。本来、脱原発は人類が取り組まなくてはならないことであることは間違いないのだが、こんな人格の人間と一緒になって同じことを社会に訴えかけることには抵抗がある社会人がいても責められない。
極端に愚かな著名人ともなると電気で稼働する移動手段ならばエコだと信じている。坂本龍一の反原発集会などでの発言もとても大人のそれとは思えないほど稚拙だ。要はなにが地球環境保全であるのかを理解しないまま、独自のイメージでエコロジーを語るものだからなんの説得力も持たないのだ。電気自動車を作るためには原発や火力発電所からの電気を使い、その後の電気自動車の維持にもエコロジーとはほど遠いほどメンテナンスには工業製品が使われ、舗装された道路を利用する。部品作りにも道路整備にも莫大なエネルギーが使われる。当ブログの管理人は不本意ながら電気自動車のオーナーとなって数年、日本人としてはだいぶ早い方だったと自負している。当ブログをご覧の皆様の多くがご存知のように当ブログ管理人ミジンコの主な移動手段は徒歩だ。1日多いときは6時間を歩き、毎日20kmは最低限のノルマとしている。徒歩をエコだとは考えたこともない。身体を鍛えるためにやっているだけのことでエコとは関係がない。道路を使い、歩道橋や公衆トイレなど街の公共設備を利用しておいてウォーキング程度でエコだなんておこがましい。
同じく電気自動車をエコの為に所有したわけではない。電気自動車がエコだとは限らないので一度もエコに貢献しているといった旨で自慢したことはない。加速がガソリン車よりも速いことや見た目がカッコイイことで自慢したことならばある。ほとんど乗らないでそのクルマが置いてある地域では会社のクルマやレンタカーを利用する頻度の方が何十倍も高い。エコとは言い難い上に荷物が大して積めないので1日中東奔西走する身としては使い勝手が良くないクルマだからだ。繰り返すがエコだからオーナーになったのではない。世の中には義理人情諸々の事情で買い物をしなければならないことが起きるということだ。皆さんもそんな理由で保険に入ったことがあるだろう。エコとは無関係にガソリン車やハイブリッド車よりも遥かに高額な電気自動車を購入した人もいれば、集会でエコを訴えてはみても高額な電気自動車ではなく今もガソリン車で移動しジェット燃料を膨大に使用する旅客機で移動する人々もいる。どっちが偉い偉くないの話ではないが、散々エコとは真逆なことをやっておいて人々には不便な生活を強いる図々しい人間たちが原発を悪だと語る光景は見るに堪えない。
何度聞いてもこの坂本龍一の発言は酷い。全て自分本位で相手が傷つこうが関係なし。「強制的」になんて言葉を使っているが食堂から自分が出ていけば済んだ話だ。恐らく坂本龍一にとっては学生時代から今に至るまで「自分が出ていく」という発想は無いのだろう。先に食堂にいて一人で食事中の学生がまるで迷惑なことをしているかのように語るこの傲慢さは死んでも治らないことだろう。
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