毎年起きている議論なのだがさすがに4年経っている今も起きている「黙祷の強制」について。
3月11日の14時46分に黙祷をしない人々を責めるようなことを言う人をネットで見かける。ツイートなどで口論になっている場合もある。有名なものでは14時46分に黙祷を捧げようとツイートで拡散していた人物が被災者にそのエゴを指摘されたら「被災者なのになんで反対するんだ!」と逆ギレ。そのやり取りのキャプ画像の方が黙祷運動よりもよほど拡散されている。
メディアもどうかしている。特にテレビ放送については呆れ果てている。震災当日にまるでエンターテイメントを送るかのように司会者もレポーターたちも興奮して震災の状況を中継していた各局が「復興」だとか「きずな」だとかうるさいのなんの。母親の遺体が乗っていたクルマの中から発見された、その瞬間の少年をカメラで撮り、一部始終をレポートしていたフジテレビのことはよく覚えている。報道であろうがなんであろうが、カメラを止めるべきとき、マイクを切るべきときがある。その分別(ふんべつ)がつかなかったテレビ局で、その時にレポーターをしていた人物が朝の番組で復興をテーマに被災地を訪れていた。吐き気がするレポートだった。
復興を取り扱う前に先ずは省みることがあるはずだ。ヘリの中継で瓦礫の中で救助を待つ人々を生中継していた各局、つい最近、アルゼンチンでメダリストたちを含めた10名もの犠牲を出したヘリ衝突事故があったが、ヘリとはそのくらい2機が接近すれば危険なものなのだ。救助を待つ人々の上空をマスコミのヘリが飛ぶものだから救助のヘリはその場所を避けて飛んでいた。衝突事故の危険性が高いからだ。つまり中継ヘリに狙われた被災者たちは救助が後回しになるという悲劇だ。もっと悲惨なのは瓦礫の下で苦しんでいた人々だろう。助けを求めて声を出したり音を鳴らしたところでマスコミのヘリの爆音がそれらをかき消す。皆さんには次のときを想定しての緊急用ホイッスルの携帯を是非ともオススメしたい。ホイッスルの音はとても高音で大きく、もし鳴らすことができれば、相当に遠くまで音が届くはずだ。ヘリの音には負けるかもしれないが、それでも声や近くのものを叩く音よりは大きいので発見してもらえる可能性が高まる。まぁ、ヘリが飛んでいないサイレントタイムを作ることが一番なのだがマスコミはそれに従わない。
本日も至るところで黙祷強制があったようだ。言うまでもなく黙祷をすれば良いというものではなく、また黙祷をしない人々を責めるのも筋違いだ。いちいちその14時46分というやつにこだわって自分に酔っている人々が延々とネットなどを利用して黙祷論を語る。静かに自分の中だけで消化すれば良いものをなんでか毎度のこと「運動」だとか「拡散」だとか人を巻き込もうとする。
そもそもそういう14時46分にこだわっている人々は本当に東日本大震災を理解しているのだろうかと疑問だ。あの大揺れがあった瞬間にいきなり何万人もの犠牲があったわけではない。揺れ自体も相当に長かった上に後からの津波や火災でも多くの人々が犠牲になっている。なにもその14時46分直後だけが悲劇だったわけではなく、あの日はずっと絶望的に多くの命が失われていった。あの日、つまり3・11と1日のことを称することも違和感がないわけではない。大地震が起きた日は3月11日だったがその後もずっと被害の大きさを知る日々で大きな余震は続いていた。3・11だけが悲劇だったわけではない。
当ブログで取り上げてその関係各位から貴重なお言葉をいただいた件がある。災害救助犬が被災地で懸命に仕事をしてくれた後に命を落としたのだ。直接的な震災の犠牲ではないわけだが、あの命だって震災の犠牲だった。3・11の影響で心身ともに摩耗させ続けて命を落としている人々も沢山いる。日付や時刻だけをまるでアイコン化して黙祷すれば、黙祷大声族(←当ブログではこう呼ぶ)たちは満足するのだろうが、黙祷をせず涙を流さない人々があの震災で傷ついていないわけでもなく、また黙祷大声族よりもよほど被災者たちを救っている場合だってある。
毎年、テレビ東京の14時46分の放送内容が話題になっている。別に批判されているわけではなくて、地球最期の日でもドカベンの再放送を放送すると愛ある冗談の対象となってきたテレ東ならでは現象だ。本日のテレ東京も例年どおりに映画を流していた。今回は「ジャッジ・ドレッソ」だ。スタローン主演のかなり前の作品で爆発あり暴力ありのアクション映画だ。そんなテレ東が震災を重くみていないのかといえば、そんなことは無い。散々、家が流される映像、家族や大切な人たちを失って泣き叫ぶ人々を中継していたキー局のほとんどが3月11日に限って自分たちの過熱報道を反省することなく被災地支援を訴え(←震災当日はこぞって悲惨なところを中継しようと必死だっただろうが!)を主軸にした放送に注力する中、テレビ東京はこのB級映画大好きなミジンコでも苦笑いな内容のアクション映画を放送。もし各テレビ局が人間なんだとしたら、テレビ東京くんがアホだけど一番信用できるタイプだ。
黙祷すれば良いというのならばそれは簡単だ。別に黙祷をしたい人たちはすれば良いし、しない人々を責めるのは筋違いだ。なんだか心に秘めた思いだとか、いちいち言葉に出さない決意だとかを本当に理解していない人々が毎年この3月11日に登場することに呆れて記事にした次第。東日本大震災についてなにも語らない人がいたとしても、その人は深く傷ついているかもしれないし、人に知られぬことなく被災地復興のみならずこの日本全体についても何らかの貢献を果たしてくれているやもしれない。そういう人それぞれというものがこうも通じないものなのかと若干寂しい気持ちさえするが、黙祷大声族たちには何を言ったところで通じまい。「黙祷するべき!」と黙祷大声族たちが叫ぶ時刻に当ブログの管理人はカフェでポテト食べてコーヒーを飲んでいた。365日、何かしら黙祷を捧げなくてはいけないほどいろんなことを見て知ってしまった上での結論がこれだ。黙祷大声族たちにはこういう心境は分からないんだろうなぁ。ポテト旨かった。
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