以前に何かと話題となっているはすみとしこ氏の難民についての有名なイラストは視野が狭く好きになれないという旨の話を少しだけしたことがある。これがシリア難民の現実なのだ。それでもオーストリアまで辿り着けた人々は少なくとも空爆や自国政府軍による毒ガス攻撃で死ぬ可能性は無くなったのでまだマシなのかもしれないが、人としてバナナを放り投げられて手を伸ばすことが幸せなことであるはずもない。
オーストリアは限界まで難民を受け入れていると思うし、この写真の警察官だってむしろ難民を救おうと懸命なのだ。それでもバナナは足りないし、柵越しでないと警察官の身の安全も確保できない。今できることをやろうとしている光景のこの写真を見ているだけで泣けてくる。ここに写っている誰かが悪いわけもなく精一杯のことをやっているのにこんなにも悲しいのだ。
「そうだ難民しよう!」なんて発想でバナナを受け取れるだろうか?この難民たちだってかつては美しい花や果実が実る中東有数の発展した都市の出身者たちかもしれない。独裁政権による虐殺と内戦状態でシリアはもはや安全に住める場所が無いほどに荒廃してしまった。わざわざ難民になりたくてなっている人間なんてそうはいるとは思えないのだ。
ちなみに常連さんたちには言わずもがなだろうが当ブログはもっと悲惨な難民の光景を撮った写真を何十万枚も保有している。それがハーグの国際法廷や世界的な通信社を通じて以外では世に出ることはない。難民は見世物ではないからだ。そういった写真のほぼ全てがこの写真よりも更に悲惨だ。そういう光景に慣れていない人が見たら眠れなくなるかもしれないしPTSDになるやもしれない写真の数々だ。はすみとしこ氏の「そうだ難民しよう!」に安易に頷いている方々にはもっと慎重に事態を把握して行っていただきたいと願い記事にした次第。
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