心的ストレスが高くなる作品なので観ない方が良いかもしれないと周囲から助言を受けていたのでずっと観るのを避けていたが「映画は映画館で」とは思っているので重い腰を上げて戦地での爆弾処理班の映画を観ることにした。
観るのを避けていた理由のひとつにはこの作品の“アメリカ人と日本人のくっだらない批評”を散々読んだから。
くっだらないと表現するのが適切ではないとしたら、他人事とでも言うべきか。「戦争って大変だねぇ~」って薄っぺらな批評を読むたびに世界の破滅を感じた。
今年か来年か数年後か、超大規模な爆弾テロか、小型核によるテロが成功してしまうかもしれない。そんな現状の中で生きる人々が「ハートロッカー」を観て「遠くの戦争」として感じてしまっていることが恐ろしい。自分や家族が爆弾テロの犠牲者になる可能性が高まっているのに爆弾処理班の異常であることが正常な日常を描いた作品を娯楽作として観るのはあまりにも馬鹿げている。
「ハートロッカー」の劇中、台詞としてなんら反戦メッセージは盛り込まれていない。ただひたすらイラク戦争での爆弾処理班の活動を描いている。
携帯電話(起爆装置)に過敏に反応する姿、現代の戦争では誰が善意の人で誰が自分を殺そうとしているのか判断がつきかねること、そんな戦地では当たり前のことを映画で描くと、戦争が自分には無縁だと思っている観客には衝撃作となる。
主人公は危険中毒者といったところだが、別段、戦地で珍しいタイプでもない。死ぬのは恐れるが危険に晒されるときの独特の高揚感は確かに中毒性がある。作品の冒頭で「戦争は麻薬だ」というメッセージが表示されるが、それは本当のことかもしれない。アメリカの平和な日常に戻った主人公はスーパーマーケットでボ~っとする。ミジンコも酷い場所からサンディエゴに戻った日に普通のスーパーマーケットに行ったり普通のレストランに行くとしばしボ~っとしてしまうときがある。あまりにも世界が違い過ぎて世界で戦争・紛争が起きていることが虚構なのか、今いる平和な社会が嘘なのかと戸惑うからだ。正解はどっちも本物。
テロリストたちは、そのあまりにも平和な西側の社会を見て世界への憎しみを何百倍にもさせるのだろう。
この作品のような主人公を生み出すのが戦争であるということが作品のメインテーマだろう。政治や信条などは抜きにして一度戦争に関わると人は後戻りできない。今や米国だけで数百社にも及ぶ民間軍事会社(PMC)に入社する傭兵たちはなにも収入の高さだけでその仕事を選んでいるわけではない。平和な日常に戻ることにどうしようもない違和感を感じてしまい日々悶々とする中で再び戦地に戻ることを望む傭兵たちのなんと多いことかと驚く。戦争はセラピーなんかでは治せないほどの変化を人にもたらす。それを知らない馬鹿が戦争を始めて自分たちは悠々自適な老後を過ごしている。
[11回]
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