周囲の皆さんのお気づかいのおかげでこの数日は1日8時間程度の仕事拘束時間。なので1日16時間は自分のために使える時間。もちろん先日書いた記事のとおりの状況なので常に待機状態か小金井に朝・夜と行くことも多いので暇ってほどではないのかもしれないけれど、まるで連休のように自由に時間が使えると逆に戸惑ってしまう。
かといってずっと祖母についているのも正直言って限界がある。こちらの精神が持たないというのが正直なところ。
先日の記事はかなり遠回しに書いたのでむしろ色々な憶測を呼んでしまった部分もあり申し訳なす。
先週から100歳の祖母の体調が崩れ出し、今週は意識はあるのだとこちらは感じるのだけれど、状態としてはいつその時がきてもという状態に。100歳を超えて寝たきりだった祖母がそういう状態に陥るのは常に覚悟していたものの、ミジンコと祖母との長い長い付き合いは本当に周囲の人々にも有名だったほどでお祖母ちゃんと孫というよりかは同志のような関係。
100歳を超えてもなお長生きして欲しいと願うとは自分でも意外だ。本音を言えば、本当に膨大な時間を祖母に費やしていることに後悔が無いわけではない。きれいごとを言っても仕方がないし、このミジンコの気持ちを理解できない人がいても知ったこっちゃない。それほど100歳までになった祖母の要望になるべく応えて、仕事の合間合間に十数年、いやもう買い物レベルのお使いならば30年近くも、つまり人生の大半は常にアタマの片隅に祖母のことがあり、留学中に祖母から距離を置く罪悪感っていったらそりゃもうなかった。今も長い出張だと祖母ではなくもう高齢な両親のことが心配で仕方なくなっていた。両親の方が祖母よりも早く死んだら祖母を恨むとさえ思っていた。100歳の家族を持つということの喜びと苦しみがある。
そういうもうどうにもならない焦燥感がある中でも、それでも今もって祖母に生きて欲しいかと問われると、どうしても生きて欲しい。今週の月曜日から院長直々に「今晩か明日」という覚悟をお伝えいただき今に至る。困ったことに、いやはや自分で言うのもなんなのだが・・・・いや、さっき姉にも同じことを言われたのだけれど、自分があまりにも頑張り過ぎた過去十数年なので「悔いらしい悔いはない」という我ながらずーずーしい感想。かと言ってもっとできるんじゃないかという思いが無いわけでもなく、そうは言ってももうやることないじゃん!とも思い・・・って自分でもナニを言っているのかわからなくなってきた。
今ちょうど民主党の三宅雪子議員が内出血で車椅子にって話で各所大盛り上がり。ミジンコも流石にあれには呆れた。
う~ん、車椅子ってもっとこうなんというか・・・・・かけがえのない足なのだと思っている。祖母の乗る車椅子を何度となく押した。車椅子のおかげで祖母は満開の桜が見られた。車椅子があるから外で一緒にゴハンが食べられた。車椅子を押すとなんとも誇らしい気持ちにもなるのだ。なんなんだろうあの気持ちは。車椅子が祖母の可能性をどんどん広げてくれたことは間違いない。
恥ずかしながら車椅子を日常的に押すようになる以前は、自分はバリアフリーの必要性をイマイチ解ってはいなかったように思う。
平坦な場所さえ広げれば、こんなにも車椅子さえあれば移動できる人達の可能性を広げられるとは知らなかった。車椅子を押す側とはいえ、当事者になってこんなにも実感するとは、まだまだ世の中には自分が知るべきなのに知らないことが沢山あるのかと思うと恐ろしい。
車椅子が神聖だなんて大袈裟なことは言わない。ただ本当にこれでもかっていうくらい車椅子はかけがえがないのだ。これはもう車椅子が必要な人々とそれを支える人々に取っては言葉では語り尽くせないほどの車椅子への思いがあるのだと思う。
だからこそ、もし自分が必要がないときには車椅子に乗るなんて行為は恥ずかしくて死にそうになることだろう。
怪我を重く印象付けるためとか、なにかしらのパフォーマンスとしての道具として車椅子を使うなんてことは止めるべきだ。断言できる、世界中の車椅子のただのひとつもそんな馬鹿げたことのために製造されてはいない。
これは本音の本音で、国会の茶番だとか、誰が民主党だとか、そういうことは関係なしに、車椅子の使い方として三宅議員のやり方は間違っているというだけの話。いつかきっとこんなことで車椅子を使ったことを三宅議員だって顔から火が出るほど恥ずかしく思うときが来るかもしれない。そういうときが来ないのならばそれまでの人間だが、国会を目指し議員になったほどの人物ならば、政治的な信条やら政党間の対立とは全くの別次元の話として、車椅子を恥ずべき使い方をしたと認める勇気も必要だ。
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