重い。
松たか子はこの一作だけでも名女優として位置づけるべきだ。ロバート・デ・ニーロやジャック・ニコルソンがどんだけ数多くの駄作に出演しようとも何作品かでは凄まじい俳優魂を見せつけて名優としての地位を確固たるものにしているように、今後、ミジンコの中では松たか子は名優となった。たぶん、この後も松たか子はフジテレビ関連のしょーもないドラマからのスピンオフ映画などに出るのだろうが、この「告白」での演技が彼女を次の名作へと導いてくれることだろう。
それにしてもこの作品は
重い。
14歳以下の少年の殺人をどう裁くべきか、これは延々と日本で議論されていること。これが絶対に正しい答えなんてものが出るはずもないテーマだ。
ところがこの作品ではひとつの被害者側からの答えが提示されている感がある。勿論、異論反論、そりゃもうこの作品の結末に怒る人々もいるのだろうが、ミジンコには、このラストは解決ではないが犠牲者とその母にとっての権利が行使されたように思えた。つまりいったん殺人、しかも自分のことしか考えていない殺人鬼(少年だが・・・)が人を殺し始めたとき、その今の社会からは更生の機会を与えられる殺人鬼と子供を殺された母親の両者が余生を穏やかに暮らせることなんて無いってことなのだ。当たり前だ。加害者側の更生は加害者にとっての更生でしかなく、犠牲者や犠牲者のご遺族にとってはその加害者の更生自体が更に苦しまされる現実となってしまうかもしれないのだから。加害者が今も息を吸っているってことが堪え難い遺族にとっては加害者の更生なんぞ、鬼や悪魔を延命しているだけのこと。
だったら、どちらの気が済む結果を社会は選ぶべきだろう?ミジンコは(作品中の母親の報復は支持できないが)母親側の気の済むようにするに一票なのだ。
偶然だが、つい最近、あの光市母子殺人事件のドラマ化をWOWOWが取り組むとかでミジンコは憤った。(参考記事:
「いまの事件」描く怖さ覚悟 光市母子殺害、ドラマ化)
このWOWOWのドラマ製作者並びに出演予定者たちは是非にもこの映画「告白」を観るべきだ。WOWOWのドラマの方はまだ完成していないのだろうが、この「告白」を観たあとでもまだ光市の悲惨な事件を自分たちの勝手な解釈でドラマ化するのならばズーズーしいにもほどがある。「告白」を観れば解る。理不尽に家族を殺されたご遺族の気持ちってのはこういうことってことだろう。「告白」での松たか子が演じた母親の行動は支持できなくとも理解はできるということ。
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