枝野「ここまでの確認では(放射線被曝〈ひばく〉の)可能性はないだろう」
「ここまで」と言っておけば後から「その時点ではそういう認識であった」と弁明できる余地を残す。
「可能性」という表現にしておけば「そうではない場合もある」という含みをもたせることができる。
語尾を「だろう」としておけば推測をしたに過ぎないので断定的に述べたわけではないと逃げられる。
そもそも民主党政権下では閣僚が公の場で発言したことまでもが後から私的見解だったとその発言の責任の所在まで曖昧になる。そんな言い訳が通じることがどうかしているのだが・・・・・。
福島第1原発所長「被曝可能性ないだろう」 経産相 (日本経済新聞)
枝野幸男経済産業相は29日の閣議後会見で、東京電力福島第1原子力発電所の吉田昌郎所長が入院したことに関連して
「ここまでの確認では(放射線被曝〈ひばく〉の)可能性はないだろう」と述べた。さらに
「もし(被曝の)可能性があるならば、直ちに公表する」とした。東電側は病名をプライバシーを理由に公表していない。
枝野は自分の口から発せられる「ただちに」の信頼感の無さを自覚していないのだろうか?
もはや枝野が「ただちに」と言った場合「手遅れ」という印象すらある。
吉田所長の被曝の可能性は無いだろうとする見解にも呆れた。東日本で被曝をしていない国民がいるとは驚いた。被曝がまったくゼロという可能性のほうがあり得ないと思うのだが、なんで枝野はこういういい加減なことを言えるのだろう。
結局、今の時点で枝野が「ただちに」と言ったということは後からなにかしら“最初から発表するべきこと”をずっと後になってから発表するんだろうなとしか思えない。枝野は自分の信用の無さをいつになったら自覚するのだろうか?法律家としてそのなにを発言してもウサン臭いという自分への評価を少しは恥じる気持ちがあるのならば、最初から国民に伝えるべきことは隠さずに伝えるべきだ。
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