ちょっと今体調がボロンボロンなので短い記事にはなるけれど、あまりに乱立している政党のどこに投票するのかを決めかねておられる方々へのご参考に。どこに投票するべきだといったことは考えに考え抜いた結果、やはりこのブログでは言わないことにした次第。ミジンコの投票先は(実は以前から決めていたわけではなくて昨日決めたのだけれど多分皆さんのご想像では)明らかではあろうけれど、だからといって「自分はそこに投票するから皆さんも!」といった恣意的なことはやはり避けたい。あからさまな組織票を糾弾し続けてもうだいぶ経つ。小選挙区制度にも大反対。そういう立ち位置だからこそ、みんなで一緒にどうのこうのってやつを投票には絶対に用いたくない。自分は自分、人は人だ。恐らくこのブログの場合、ミジンコがなになにしましょうと呼びかけてしまうと少なからずの人たちはそれに追従してしまう可能性がある。だからこそ、「どこどこに投票しましょう」とは呼びかけないという節度こそが日本の民主主義を成長させるのだと考える。
そうは言いつつも投票を決める材料となる知識に秀でた者は他の有権者に対して投票への判断材料を提供はするべきだ。そもそもどんな事象でも根幹を辿れば政治に辿り着く。どんなことでも判断材料にはなるはずだ。自分の場合はちょうど今やたらと争点とされている「脱原発」とやらについては相当に詳しい。なにしろ原発事故以降にやたらと登場している薄っぺらな脱原発主義者たちよりも脱原発への思いが強いであろうし、そもそも知識の深さ、勉強量に雲泥の差がある。これを謙遜しても仕方がないのでこう言っている。今、この日本の政治家でミジンコよりも脱原発、代替エネルギー開発について詳しい者など存在しないはずだ。自分の方が長けているという政治家がいれば名乗り出て欲しい。直接、ミジンコがその政治家に氏名を明かして会うこともやぶさかではない。その時にその適当なことを言った政治家がどんな言い訳をしようとも許さない。その政治家の氏名と言動の全てを公にして責任は取ってもらう。はっきり言おう。今、脱原発を叫んでいる政治家、候補者の全てがニワカだ。脱原発のリスクを理解していないどころか理解しようともしていないで国民に地獄を味あわせようとしている最低最悪な人間だ。
以下に脱原発の現実を記す。断言だけするので後は皆さんの判断次第。ミジンコのことを信用しないというのもひとつの選択だ。その考えをミジンコは尊重したい。このブログを長年ご覧の皆さんはミジンコが原発事故以前から代替エネルギーについて触れているところを何度も見たであろうし、原発のリスクを懸念しているところも何度も見たであろうから、その事実を踏まえてご判断していただきたい。後だしジャンケンのような脱原発を主張する候補者たちとミジンコとでは脱原発についての姿勢の重みが違うと自負している。
1.すぐには脱原発はできない。できると言っている候補者がいたらその候補者は嘘つきだ。できないものはできない。脱原発を長年望んできたミジンコが「すぐにできる方法」を思いつかない。今この時点で「すぐにできる」と言い張る候補者は無責任な適当なこと言っている。つまり嘘をついている。
2.10年後の脱原発も現実的ではない。現実的ではないというのは優しい表現だ。できないのだ。不可能が努力次第で可能となるのならばこちらはこんなにも苦労はしていない。「10年後にできる」と今この時点で主張する候補者は無責任極まりない。10年後の脱原発へのスキームを今構築できる人間なんていない。できると嘘をついている人がいるだけのことで現実には10年後では無理だ。難しいではなく無理なのだ。
3.代替エネルギー開発は脱原発を実現するほど進んでいない。ずっと代替エネルギーに関わってきた。莫大な投資をし、それで得た成果は僅かだ。脱原発をしたいのは山々だが原子力発電所が必要ではなくなるほどの革命的なことはどの分野の代替エネルギーでも起きていない。いい加減なことを言う候補者たちに「何十年も研究開発されている多結晶シリコンのエネルギー変換効率がほとんど進歩していないこと」や「世界最大級、つまり広大な敷地を利用した太陽熱発電プラントが美浜原発1号機の半分ほどの発電量」であることを話してみるといいかもしれない。おそらくとても楽観的なこと、すなわち「解決できる」といった趣旨のことを述べることだろう。その候補者はその場限りの嘘をついている。ミジンコが10年苦悩している問題をなんにもしてこなかった候補者が「できる」といっているということなのだ。太陽光や太陽熱でも前途多難なのだ。ましてや風力や地熱の難しさといったら途方もない。それでも不屈の精神で研究開発に挑んでいる人や企業がいるから僅かづつ進歩している。候補者が「画期的な(代替エネルギーの)技術がある!」と言っていたら疑うべきだ。その候補者のいう「画期的」は先ず間違いなくミジンコが何年も前に話を聞いたが実用化までのハードルが途方もなく高いものに間違いない。その候補者はシュミレーションも検証もしていない上に分析する力も無いので「画期的」だと考えているだけのことだ。
4.実は今の時点ではそもそも原発ゼロまでの道のりが見えていない。不透明なことだらけなのだ。廃炉はそんなに簡単なことではない。核エネルギーは廃棄の方が運用よりも難題だ。原発をゼロにした後もその呪縛に苦しむことはもう確定している。原発の技術ならびに技術者はずっと維持しなければならないことも確定している。それではなにをもって脱原発とするのか?原発を停止すれば解決する問題なんて存在しない。そりゃ原発が止まった瞬間に大喜びする活動家たちはいるかもしれないが、それは本当の脱原発ではない。今から始めて十万年後には脱原発は可能かもしれないが今生きている人たちが本当の脱原発を見ることはない。「脱原発した気になる」ならば可能だ。今の時点で「脱原発!」と声高に言う候補者はこの現実を見据えていない。本当に脱原発を考えてきた者ならば原発を作った時点で一生付き合っていかなければならないものなのだと分かっているはずだ。原発反対派のミジンコが原発についての技術推進と技術者の育成・確保は「絶対」だと考えている。夢みたいなことを語っていないで原発の可能な限りの安全運用に注力した方がリスクが少ないからだ。福島原発事故が起きたときの東電や専門家たちの無力さったら無かった。あのようなリスクを今の日本は抱えているのだから脱原発ではなくて、脱原発はすぐには無理だと覚悟しての原発技術の推進と技術者の育成・確保こそが急務なのだ。次世代型原発というものの開発が進んでいる。ミジンコが苦々しく思っている技術だが旧型の原発よりも信頼している。いわば譲歩のようなものだ。廃炉の際にリスクが少なく運用もより安全性が高められた新型原発の方が旧型よりはマシということだ。事実なのだからそれは認めるしかない。
今の候補者たちが言うような完全無欠の脱原発ができるのならば苦労はしない。原発反対の自分ができないと思う数々の夢物語を候補者たちはベラベラと饒舌に語る。馬鹿なのか、無知なのか、無責任なのか、嘘つきなのか、その全てかもしれない。脱原発だの卒原発だの今まで脱原発の難しさ、代替エネルギー開発の途方もない難しさを知らない無知な候補者たちが有権者を騙して自分へ投票させるためのまやかしだ。そんな平気で嘘をつく候補者たちが政治に携わろうとすること自体が危険だ。詐欺師たちを国政に送ってはならない。
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