昨晩、テレビを観ていたらスピルバーグが「苦労した撮影ワースト3」を挙げていた。
改めてスピルバーグは挑戦的な作品を作り続ける偉大な監督だと思った。
ミジンコはハリウッド映画が好き。要はエンターテイメントが好きってこと。
ハリウッド映画を馬鹿だくだらないと批判する映画監督や役者に「観客を喜ばせる」ということに鈍感なヤツが多いというのがミジンコの自論。彼らが馬鹿にしているハリウッドからは少なくとも人に「観たい!」と思わせる作品が毎年のように続いている。
そういうハリウッド批判を延々と繰り返す自称・エンターティナーには、なんで自分たちに仕事が来ないのか、お金が稼げないで自分の会社が倒産するのかさっぱり解っていないような言動が多い。
人が観たいと思うものを作ってこそ、観客の反応がある。当たり前のこと。
「ジュラシックパーク」が公開されていた頃、ミジンコはニューヨークに住んでいて、本当に自分の時間がほとんどない生活を送っていたけれど、この映画は何回も映画館に通った。
当時付き合っていた恋人は同じ映画を何回も観るミジンコの行動を嫌がっていたけれど、「ジュラッシックパーク」と「レオン」だけは許してくれた。
正直、その当時は、映画製作者への道が途方もなく思えていた時期。
大手のコンピューター企業、石油会社、自動車会社への就職先があったのに映画会社は全部不採用だった。
そもそも映画製作会社の無給のインターンでさえ毎年採用されなかった。ショックだった。
製作というものを仕事にするには、元々かなりの経験があったゲーム業界しか自分には間口が開いていなかったというのが本当のところ。
ゲーム製作は誇れる仕事だと今でも思うが映画への魅力は断ち切りがたかった。
もう辛すぎて笑うしかなかった。死ぬほど映画の勉強をした。お金が足りなくなっては一時帰国してゲーム製作に参加して学費を稼いだりもした。それでも本来やりたかった映画の仕事には就けないと悟った。
そんな失意の時期に、「ジュラシックパーク」を観て、CGなら、即ち数学的なものなら自分も製作者に成れるなって思った。
脚本や監督など英語力が重要になる分野では自分は通用しないが、コンピューターならば・・・という考えはこのときから持っていた。
その後、ミジンコは巨大コンピューター企業などを経て、最初に雇われで会社代表になったときに手掛けた事業もコンピューターを多いに駆使することだった。大失敗も多かったのだが・・・。
様々な失敗を経験して、自分の方針で会社を運営したいと広告製作事業を展開して稼ぎ、まるで後付けのように「広告はこれからはCGが必要!」とCG製作に乗り出し、ちょっとだけ成功。今も継続中。
実を言えば、当時も今も本当に広告にCGが必要なのかどうかはわかっていない。ただCGが作りたいから作っているというのが本当のところ。
1993年製作の「ジュラシックパーク」には遠く及ばないが、CGを面白く使うことは少しは学んだと思う。
この画像を観たハリウッドの映画関係者たちはミジンコがハリウッドに来ないでホッとしているかもしれないが・・・・・。
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