よく知りもしないで刺青についての勝手な解釈をさもグローバルスタンダードのように語らないでもらいたいものだ。本当にこれに尽きる。
乙武洋匡さんがまたしてもツイートで問題発言。例のイタリアンレストランの件でだいぶ信用を失った人物ではあるが全然懲りていないのだろうか?意見は意見としてなにを言おうが勝手ではあるのだが意見とは別に有りもしないことをまるで世界の常識のように語って「日本が遅れている」かのようなことをツイートで吹聴することは止めるべきだ。
ここオーストラリアでは、タトゥーがめずらしくない。老若男女を問わず、わりとカジュアルに入れている感じ。 でも、日本だと間違いなく「刺青のある方はご遠慮ください」言われるレベル。これもいたって ガラパゴスな文化だと思うけど、オリンピック・パラリンピック開催が決まっても変わらないのかな。
当ブログの過去の記事
「刺青にまつまる嘘」で既に述べているのだが、海外でも刺青であろうがタトゥーと呼ぼうがともかく体に消えない彫り物を入れることが推奨されているなんてことはないし、刺青が理由で「断られる」「雇用されない」「解雇される」ということも珍しいことではない。
オバマ大統領は娘たちがタトゥーを入れることを厳禁している。よく「アメリカではタトゥーは当たり前」といった意見を日本で見聞きするが当ブログの管理人であるミジンコが人生の半分くらいは過ごしているアメリカ合衆国の話をしているのだろうか?アメリカでもタトゥーは当然のことでは断じてない。そういう「アメリカでは~~~」を語る人々がなぜそういう間違った認識に至ったのかをちゃんと調べていけばいい。おそらくは「2chに書いてあった」だとか「(アメリカに住んだことすらない)友達が言ってた」だとかその程度のことでアメリカの常識を語っているに過ぎない。当ブログの管理人も日本とアメリカを行き来する人生であるし、それ以外の外国滞在歴も相当に長い。そして当ブログを定期的に読まれておられる読者の方々には海外滞在中の日本人の方々、日本生まれで現在海外で生活中の方々が数百人規模でおられるわけなのだがどなたも滞在国でタトゥーが当たり前だとは言わない。むしろコメントを頂いた海外居住者の方々全員がタトゥーが常識という件については否定的だ。日本のようにスポーツクラブの入場お断りということはないにしても、タトゥーがあることによって付く不良的なイメージや周囲への威圧感というものはよく「アメリカでは~」と挙げられるアメリカ合衆国でも他の国でも存在するのだ。つまりタトゥーは人生の助けになるようなことは稀なケースで、ほとんどの場合はネガティブなイメージが先にくるものなのだ。もうこういうことは当ブログでは語り尽した感さえある。
乙武さんは日本の刺青に対する姿勢が世界的に見てガラパゴスだと言っている。果たしてそうだろうか?むしろ世界でも屈指に国民のモラルが高い日本だからこそ刺青に対して厳格になっているとミジンコは考える。例えばお客様と非常に近い距離となる接客業、つまりホスピタリティーが重視されるサービスに於いてはアメリカなどの先進国でも刺青を入れている従業員を解雇したり不採用としたりする。一流ゴルフクラブにて刺青を入れたキャディーはそもそも採用されないし刺青を理由で解雇もある。「~~~~クラブ」といった名称の伝統ある社交の場の従業員たちも制服を着ても肌が見える場所へのタトゥーは厳禁だ。ミジンコはそういう場で刺青を入れたスタッフを見たことがない。世の中には刺青肯定派の屁理屈が通じない場所があるということだ。日本がガラパゴスだろうか?むしろ世界的に見て経済的にも倫理観としても円熟味を増した場であればあるほど刺青は否定されている。つまり日本がガラパゴスなのではなくて、日本が先を行っていて海外の国々が追従している構図なのだ。
いちいち説明することも馬鹿馬鹿しいのだが各国首脳の手首や首まわりにタトゥーが見えるだろうか?見える部分は勿論のこと首脳や閣僚にまで上りつめる人物たちのほとんどがタトゥーを入れていない。名門大学を優秀な成績で卒業、その後も政治や実業で成功している人物たちなのだ。彼等、彼女らはわざわざ人物評のハンデともなる刺青を入れる愚行は選択しないのだ。
乙武さんはまるでオーストラリアのタトゥーを入れている人々の割合が世界標準であって日本が孤立している(ガラパゴス化)していると評しているが、日本は刺青を入れている割合についてオーストラリアを見習うべきだろうか?海外の全てを是として日本が確実に間違えているとするその思考が受け入れがたい。なぜ、オーストラリアの刺青シェアをおかしいと思わずに最初から日本がガラパゴスだと言い切れるのか理解に苦しむ。オーストラリアよりも遥かに治安も良く、世界への影響力、漫画、アニメ、ゲームなどをはじめとする娯楽文化、食文化などに於いてもオーストラリアよりも遥かに世界から尊敬の念を集めている日本が刺青についてはオーストラリアを見習うべきだとは到底思えない。むしろオーストラリア人が刺青を入れる割合を減らした方が改善されることもあるのではないかと皮肉も言いたくなる。
ちなみに前半でリンクを張った過去の記事のコメント欄にはだいぶ時間が経ってからも怒り狂った(おそらく刺青を入れた)訪問者から以下のようなコメントがつく場合もある。他の刺青について取り上げた記事でもなぜかこういう書き込みが何年経ってもくる場合がある。これはドラッグを批判した記事と傾向がとてもよく似ている。何年前の記事であろうがそれが目についたら噛みつかずにはいられないという習性は刺青愛用者とドラッグ中毒者が余りにも酷似していて苦笑している。さて、以下がその書き込みなのだが・・・・
ミジンコと同じサイズの視野狭窄っぷり あはははは(投稿者名) - 2013/09/08 03:21
あなたがそんだけ刺青に反応するのは何故?嫌いなら視野に入れなきゃ良いだけ。何か刺青野郎から実害受けましたか?見てくれが気に入らない?アナタの顔の方が他人様には生理的嫌悪感を与えているかもよ?自分は刺青野郎とは違う。社会的にはまともな存在だ。良かった!刺青野郎とは違う。その差別感、上から目線。これからも健やかにまっとうな社会人人生を歩んで下さいね(≧∇≦)b
こんな程度の書き込みなのだ。刺青を入れている者が「嫌いならば視野に入れなきゃ良いだけ」と開き直っているのだ。内容がまさに被害妄想であって、刺青を入れて開き直っている人間の問題は刺青だけの問題ではなく、その人間性によるものなのだと分かる。このコメントの下に面倒だったが一応はレスを入れておいた。そこでも述べているが「差別」を自分勝手な解釈で使わないで欲しいものだ。そりゃ「差別だ!」と言われれば言われた方が怯む場合もあるだろうし、それを言われてしまうと言葉に詰まるときもあることだろう。だからこそ「差別」を多用することは卑怯だと考える。実際、刺青については「差別」とは別次元の話だ。それ相応の覚悟も持って刺青とともに生きる人生を歩むことを決断しておいて後から刺青を拒絶されたら「差別だ!」っていったいどこまで自分に甘く覚悟も足りないのか?せめて刺青を入れた瞬間から、これはそういうものなのだと覚悟して生きて欲しいものなのだが後からギャーピーギャーピー関係のない刺青を入れていない人々まで巻き込んで社会を変な方に傾かせようとするな!
乙武さんは日本をどうしたいのだろうか?日本よりもタトゥーを入れている人の割合が多い海外のどの社会も日本よりも治安が悪いし経済的にも苦しい。なによりも人々の倫理観が日本よりも格段に低いというのにわざわざそれを見習ってガラパゴスを脱しろとでも言うのだろうか?冗談じゃない。日本がガラパゴスなのではなくて日本こそが希望の大陸だとなぜ思わないのだろう?当ブログの管理人であるミジンコは年に二十数回は日本への帰国というものを経験するのだがそのたびに日本の素晴らしさを実感する。日本が海外の文化、ましてや高級だとか一流だとか評価されている場では海外でも禁止されていること、すなわち刺青を進んで取り入れる必要は全くない。
[57回]
PR