嘘やろ・・・・。
昨晩放送していた池上彰さんの3時間番組での街頭インタビューにて。「神道」と書かれたフリップを見せて「なんと読みますか?」という質問。
若い世代だけではなく年配の方々までもが「しんどう」と答えていた。何組もが「しんどう」と解答。最後の女性だけが正解。VTRからスタジオに戻ったときに池上氏は「凄いですね。いや~神社の人がこれを見たら怒るでしょうね~」、スタジオのゲストの面々もその間違えの多さにかなり引いていた。番組では正解率を出していなかったので、もしかしたら不正解だった場合が少数派なのかもしれないが番組の構成としては「神道」を正しく読めない人が多いというもの。
日本人として「神道」が読めないなんて恥だ。この件については、とくに長々と理由を説明する必要を感じないくらい当たり前のことだと考える。日本で生まれて「神道」を「しんどう」と読む年配者たちなんて本当に恥ずかしいと思う。本当に驚くべきVTRだった。
ちなみに海外で幾度となく「でも神道は信じているんでしょう?」といったことを言われたことがある。自分が無宗教であるだけではなく神の存在も信じていない旨を説明した際、まぁ、そういう人がいることは日本では珍しい話ではないのだけれど、海外では場がザワめくときもある。特にミジンコのように民間軍事にも携わっている立場の場合、よく訊かれるのが「何を頼りに恐怖を克服しているのか?」ということ。信仰心が無いのに危険地域に行く神経が分からないといった反応をされるときがある。ここをご覧の皆さんには別に疑問にすらならないことだろうが、「神の存在を信じていない人間」とは、時折、そういう質問をされ、ちょっと大袈裟に言えば「信じられない!」といったリアクションをされる身ではある。それには慣れた。そんな「信仰していない」→「神を否定している」→「オーマイガー!!!」な扱いをされることもあるミジンコではあるが(面倒くさいけれどね!)、海外、特にアメリカでは「でも神道は信じているんでしょう?」と付け加えられるときがある。「生命が無いとされるはずの物体、生活に関わるありとあらゆるモノには神が宿っていると信じているんでしょう?」という意味で訊かれている。確かにその通りだ。八百万の神々は信じているというべきか、それらが神様なのかどうかは分からないが、モノには魂が宿っていて大切に使えば応えてくれると信じているといった説明をする。日本人が仕事で使う器具や生活に使うもの全般を大切に扱う理由の根源は八百万の神々があった方が良いと考えているからだと言うと皆がとても興味深いように聞いてくれる。
アメリカの友人たちの多くが「日本人=Shinto信仰者」であることを知っている。なんで(どこで)それを学んだのかと何度も訊いたことがあるが誰もが「あれ、なんでだろう・・・?」といったリアクションだ。日本からやってくる情報は小津、黒沢映画から現代のKawaii文化に至るまで膨大でそういった日本発の文化に触れる過程のどこかで「日本人がモノに魂が宿っていると信じている。それが神道という古の宗教に起因している。」といった学び方をしているらしい。これが最大の理由だ!といったものは見当たらないが、日本人が道具や家具、そしてオモチャなどにも魂が宿っていると考えていることは結構有名な話のようだ。その物を大切にする考え方がShinto(神道)として海外にも伝わっている。日本人で神道(しんとう)を「しんどう」と読む人があんなにいることに驚いた。
ところで我が家の薄型液晶テレビのリモコンには魂どころか足や羽が付いている疑惑がある。ちょっと見ない隙に勝手に移動するのだ。油断していると隠れるときすらある。ちょうどテレビ画面に見たくないお笑い芸人たちやデヴィ夫人や猟奇殺人事件のニュースやパチンコの不気味に明るいCMや消費者金融の偽善的なCMやデヴィ夫人や向井理のひきつり笑いや報道ステーションやマツコ・デラックスが何かを食べているところやデヴィ夫人が映ったとき、すぐにでもテレビを消すかチャンネルを変える必要があったときに限ってリモコンがステルスモードを使って見当たらなくなる。リモコンに宿っている神様は結構意地が悪い。
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