「声が国に届いた」「月曜以降はどこで…」-。厚生労働省が2日、日比谷公園(東京都千代田区)の「年越し派遣村」に集まった元派遣社員らに講堂を開放したことに、派遣村の人たちからは喜びと不安の声が漏れた。
同日午後8時前、「年越し派遣村」の湯浅誠村長が増え続ける宿泊希望者に対し、徒歩で5分ほど離れた同省講堂の開放決定を伝えた。
「やったー」。肌寒く、時折冷たい風が吹く公園内には、拍手も響く。湯浅村長は「あす以降は宿泊希望者はもっと増え、限界に来る。政府は開村から3日目にようやく講堂を開放した」と対応の遅れを批判。一方で「皆さんの声が国に届いた。歓迎したい」と話した。
しかし、講堂の使用期間は、同省が業務を開始する5日月曜日の午前9時がタイムリミットに。
厚労省2階にある講堂に入った男性(53)は「先月6日に派遣の契約を切られた。派遣村に着いた時の所持金はたった3円だった」。約3週間、公園で過ごしてきたという男性は「月曜以降は、生活保護を申請し、日雇いの仕事を探すが、一体どうなるか…」と不安を述べた。
また、元不動産業の男性(59)は「最初から開放すればいいのに。行き当たりばったりだ」とした上で「昨夜は派遣村のテントで寝たが、土を通して寒さが身に染みた。講堂は暖房が利いていて暖かい」とやや満足そうな笑みを浮かべた。講堂には、布団などの荷物を持った派遣村の人たちが続々詰め掛け、ほぼいっぱいの状態。派遣村の担当者が「布団は体のサイズに合わせ、なるべく詰めて敷いて」「省内は禁煙ですのでご協力を」などとスピーカーで呼び掛けていた。
ソース元:Yahoo!ニュース(時事通信)
新年早々、なんという
数々の忍耐の上に人生設計を立てているが故に今住むところがある納税者たちには不愉快なニュース。
正直、「派遣叩き」に便乗する気はさらさらないのだが、元派遣社員の一部の暴言には「ふざけるのもいい加減にしろ!」という気持ちにはなる。
そもそも段々と、ここ数ヶ月で解雇された派遣社員たちだけではなく、元々がホームレスだった者たちまで騒ぎだしている始末。
いったい政府、すなわち「血税(←今の時代、この表現が大袈裟ではなく感じる)」が、自業自得のホームレスの生活支援に注ぎ込まれていくわけだ。
そもそも、なんでホームレスたちは自分たちが被害者かのようなモノ言いなのだろう?彼等の甘えが真面目にコツコツと働いている多くの人々の負担になる社会なんてとんでもない。
弱者救済と「イヤな仕事は我慢できなかった者の救済」、「ギャンブルで身の破滅を招いた者の救済」、「無計画な者の救済」をゴチャ混ぜにしている
自称・支援者たちにも我慢がならない。
勝手に企画した自分たちの政治団体のPR活動の収集がつかなくなったからって政府に「助けろ!」とのたまういい加減さ。
こういった支援者と称するドアホウたちは、結局は政府批判をして自分たちのありもしない存在意義を主張したいだけのことで、誰かを本当に助けたいと思っている行動では断じて無い。
アフリカがかわいそうだ、かわいそうだと大騒ぎした割にはアフリカへの支援はほとんど無しに自分たちの宣伝ばかりを頑張ったホワイトバンドキャンペーンとそっくり。
なにかを主張するときに
救う気も計画性もないが不幸な人々をダシに使うというやり方はいったいいつまで続くのだろうか?
兎にも角にも、まるで誰かが台本でも書いているかのごとく、信じられないほど厚顔無恥な発言を
支援されている側が言う。
・ 「最初から開放すればいいのに。行き当たりばったりだ」(元不動産業の男性(59))
・ 「省内は禁煙ですのでご協力を」(派遣村の担当者)
行き当たりばったりの人生を歩んできた59歳がこの言い分・・・。
そしてタバコは買う金のある支援されている側。寝る場所を借りている身でも恥ずしげもなく煙草の箱を出せるズ太い神経があるのならば、もう少しそれを働くことに向けられないものだろうか・・・向けられないんだろうなぁ・・・。
そしてミジンコの苦笑のツボだったのは、このニュース→
社民党、党本部の開放を検討 「派遣村」パンクで(asahi.com)
社民党はピースボートで情報弱者な若者や老人たちを仲間に引き入れようと頑張っているがアホしか釣れないようで釣果は芳しくないのだろうか?
だからって、今度はホームレスを仲間に引き入れようときたか・・・・・。なんという末期症状。
民主党の管代表代行(←ん?この人、なにを代行してんの?)もこの派遣村の主催者である湯浅誠・NPO法人自立生活サポートセンターの要請に応じるカタチでこの村(苦笑)を視察したそうな。
だったら、社民党と民主党が党本部をホームレスたちの住所としてあげて、保証人にもなってあげて職探しを手伝ってやればいいじゃないか。それこそ必要な支援だろうに。
支援なのかパフォーマンスなのかハッキリしてあげないと不幸なのは助けてもらえるんじゃないかと他力本願な支援される側。
福島党首は2日夜、開放された厚生労働省内の講堂を視察。朝日新聞の取材に「政府はもっと早く手を打つべきではなかったか。今回は天災ではなく、政治災害であり、避難民だ。厚労省の講堂の開放は画期的だが、国の責任であり、ある意味当然だ」と語った。
なんで「当然」なんだ?
天災と同様にホームレス問題を語ることはおかしい。社民党の福島党首は、天災の被災者たちとホームレスを横並びで考えているのならば、その感性には恐怖感すら感じる。この人は日本をどうしたいのか?という恐怖だ。
災害被災者とホームレスではその原因が根本から違うじゃないか。
全員ではないにしても、数多くの無計画に生きてきて、当たり前の人付き合いには耐えられず、酒だのギャンブルだのに溺れて今のホームレスという立場になった者たちが、この派遣村とかいうトンデモ臨時施設にいるのは明白じゃないか。
そういう人々の存在自体も国の責任とするのは余りにも乱暴だ。
「自分が悪かった。心入れ換えて再起を図りたい!」と言う人への支援と、「施設の室温が熱い」と言って25℃から19℃にさせた人、俺が支援したくなるのは前者だな。
室温に文句を言っちゃいけないと言っているわけではないので誤解なきように。要は恥じらう心の有無の問題。
今回の派遣村で凶悪なクレーマーホームレスが数多く生み出されないことを祈る。
もし万が一、そういったクレームすることに慣れたホームレスたちがこの派遣村を起点に輩出され続ける世の中になったとしたら、この派遣村の設立に携わった者たち、賛同者たちは責任をどう取るつもりなのだろうか?
断言できる。そんな責任感が最初から無いからこういう企画ができるのだろう。
無責任な奴等が無責任な人生を送ってきた者たちを救うと称して更に事態を悪化させている。
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