民主党の落選候補たちが落選後の支持者への謝罪にて「私の不徳の致すところ」という言葉を頻繁に使っている。そういうときの謝罪で先ずは自分の力不足を認めることは大人のマナーってやつだとは思うが、特に史上最悪の官房長官だった仙谷由人が「不徳の致すところ」を使っているときにどうにもならない違和感を感じた。
「不徳」を辞書で調べてみると・・・・
三省堂・大辞林 第三版では
① 徳の足りないこと。徳が備わっていないこと。
② 人としての道にそむくこと。背徳。
なるほど、「仙谷の人徳が無くて落選」、「仙谷が人としての道に背いて落選」、どちらでも正解だ。
しかし、どうにもまだ違和感がある。徳だけの問題だろうか?選挙では徳という抽象的ともいえる印象よりも過去の実績や政策が問われているのでは?
仙谷由人が落選した理由を分析するに「不徳の致すところ」だけでかたずけてしまうことは説明不足だ。それに今後の日本の政治家への警告ならびに念押しとしてももっと具体的な仙谷由人の落選理由を歴史に残しておくべきだ。
官房長官まで務め、一時期は日本を掌握しているかのような民意無視の傲慢な政治を行っていた政治屋・仙谷由人が惨敗した理由は、
尖閣ビデオの隠蔽を謀り、日本の国土を中国に譲るかのごとき売国政策を推進し
あろうことか世論から批判が噴出したら現場の海保や政治判断をする権限のない地検に責任を押し付け
自衛隊を「暴力装置」などと呼び
民意を完全に無視した政治を続け
国会では鼻をほじり続けた。
本当にその国民を裏切る売国政策を挙げたらキリがないほどだ。「不徳」なんて言葉で簡単にかたずけられることが落選理由で収められては堪ったものじゃない。
他の民主党出身の落選候補(元議員)たちにしてもそうだ。どいつもこいつも口を揃えて「不徳の致すところ」と簡単に言うが、具体的な落選理由はとても日本の国会議員とは思えないような売国主義を続けていたことが国民の怒りを買ったことに他ならない。なにが「不徳の」だ。確信犯的に売国政策を推し進めておいて言うべき謝罪じゃない。「不徳」だと分かっていたのならば最初からやらないはずだ。本当は反省をしていないくせに易々と「不徳の致すところ」などと言う奴等は信用ならない。何度でも同じことをやるくせに反省したフリをしているだけだ。
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