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理研・笹井再生科学総合研究センター(CDB)副センター長が小保方さんに宛てた遺書の内容をどういうわけかマスコミ各社はこぞって報じている。故人の意思として公開する旨の記述があったのならばまだ理解できるのだが、本来こういった遺書は宛先の相手、この場合は小保方さんと事件性の有無を検証する捜査官しか読む権利がないものではないだろうか?例え、小保方さんがどういう立場にあろうとも、自分宛の遺書が勝手に公開されているのならば問題だ。
そしてその遺書の内容を通じてマスコミが報じるのは笹井副センター長が小保方さんを庇っているかのように彼女宛の遺書を記しているということ。確かに一文一文を読めば笹井さんは小保方さんの責任ではないと主張しているし、小保方さんの研究を励ましているかのようにも読み取れる。但し、学術論文の天才とも称される世界最高峰の研究者がどうとでも取れるような無駄な表現を自身最後の文章に介在させるような愚を犯すとは思えないのだ。
笹井さんは「絶対、STAP細胞を再現してください」と記した後で「それが済んだら新しい人生を一歩ずつ歩みなおしてください」と締め括っている。各マスコミは総じてこれを励ましていると伝えているが果たしてそうだろうか?マスコミ各社は分かった上で遭えて「励ましている」ということにしたいのかと穿った見方をしてしまうほど、当ブログの管理人ミジンコには「励ましている」とは到底捉えられなかった。STAP細胞問題では疑惑の渦中にあるとはいえ、再生医療分野での貢献は測り知れないほどの研究者が笹井さんだ。そんな笹井さんほどの人物の遺書がマスコミによって曲解されて報じられることは故人の最後の意思を損ねるものであり、どうしても看過できないが故に今回の記事を書いている。以下は単純な国語力と理解力の問題だと思うので偉そうに語るほどのことでもないのだが、マスコミの言う「励まし」なんてことは笹井さんの遺書の本質ではないと判断するが故に僭越ながら説明をする次第。
「絶対、STAP細胞を再現してください」とある。再現実験に成功すれば小保方さんが置かれている状況どころか再生医療の世界が劇的に変わる。本当にSTAP細胞があるのならば、小保方さんのノーベル賞受賞も当確レベルのものになることだろう。そして世界中で再生医療を待っている患者たちが救われる。そこまでの状況になったら小保方さんはSTAP細胞分野の権威として、本人の意思とは関係なく否応なしにSTAP細胞の研究フィールドから去ることは難しくなるだろう。いわば研究者として後進の研究者たちを指導する立場に落ち着かなければ世間が許さないといった雁字搦めの状態だ。
ところが笹井さんは遺書でその「絶対、STAP細胞を再現してください」の後に続けて「それが済んだら新しい人生を一歩ずつ歩みなおしてください」と書いているのだ。STAP細胞の存在を証明することができた後の小保方さんが「新しい人生を歩みなおす」ことなどあるはずがないのだ。実験に成功したのになんでSTAP細胞研究とは別の人生をやり直さないとならないのか?そんな「歩みなおし」なんてあるわけがないのだ。論文、いわば文章の天才が込めた痛烈な皮肉を「励まし」などと解釈して報じることは故人の意思を損ねる。研究が済んだら新しい人生を歩みなおせと笹井さんは小保方さんに伝えているのだ。あくまでも研究が済んだらだ。これのどこが励ましだというのか?
マスコミはなんとか笹井さんの人物像を作り出そうとしているがそれは非常に浅はかな行為だ。笹井さんについても自殺をしたからといって疑惑が晴れたわけではないということを強調するべきだ。これは故人に鞭を打つという行為とは異なる。なぜSTAP細胞研究チームが組成され、小保方さんがユニットリーダーとなったのか、その真相は笹井さんの死があったとしても究明するべきだ。そうしないことには理研の自浄作用が中途半端に終わり、これからも莫大な税金が浪費されてしまう。ラブロマンスじゃあるまいし、自殺した世界屈指の研究者が愛弟子に励ましの遺書の残したなんてストーリーは勘弁して貰いたいものだ。遺書の内容からすれば上記のとおり、励ましどころか痛烈な皮肉を込めた内容だ。死の直前に疑惑の当事者がここまでの皮肉を込めているからこそ、まだ世に出ていない真相があるであろうし、それを冷静かつ客観的に分析、報道することがマスコミの使命であるはずだ。